敬老の日

「今日は敬老の日です」というテレビの報道を聞いて、うちの母がポツリと言った。“老人を敬う”っていうけど、一体何歳から老人なんだろうね―。前期高齢者の始まりである65歳からなのか、それとも年齢ではなく孫が生まれた時点なのか、或いはもう自分は若くないと本人の中で自認した時なのか。ひとしきりブツブツ言っていた母だったが、しばらくすると何もなかったように再びテレビを見始めた。どうやら答えは出なかったらしい。

私が思うに“老人を敬う”の老人とは第3者のことではなく、自分自身を指しているのではないか。

当たり前の話だが、生きている限り人は老いる。たとえそれが昨日生まれたばかりの乳児であろうと、今日生きているのならば、一日老いているのである。年齢とはすなわち老いの積み重ねだ。言い換えれば「生者である以上は全員が現在進行形の老人(=老いゆく人)」なのである。

仏教的に見れば、老人は私のことである。

ここまで生きてくれた自分の体を労り、そして私を今日まで生かしめてくれた周囲のいのちに感謝することが真の敬老ではなかろうか。

老いを嫌い、いつまでも若さにしがみつこうと、惜しみなく金を自分に投資する者が多い昨今だが、自分の老いを敬えない者はきっと自分の生を敬うこともないのだろう。

人の目ばかり気になる人は一か月ほど無人島に住むとよい。

今の日本人に欠けていることの一つは、「生きながらえることの不思議さ」だと思う。