桜を眺める
時期と天気と自分の都合がうまいこと揃い、妻と2人で花見へ行く。
向かったのは指宿にある魚見岳。わりと家から近いのに、ここへ行くのは生まれて初めてである。
着いてみると先客がちらほら。考えることは皆同じのようだ。
適当な場所を探して歩くこと5分。桜も多すぎず少なすぎず、人も賑やかすぎず静かすぎず、という場所にレジャーシートを敷く。昼食を済ませてきたので「花を肴に…」なんてこともない。
写真を数枚撮った後はただぼんやりと桜を眺める。
この「ぼんやり」というのが実に難しい。
ぼんやりしている間に、頭はすぐに何かを考え始める。
直近の仕事だったり、そろそろ準備しないといけないことだったり、この後の予定だったり―。
桜ひとつ取ってみてもすぐに言語化しようとする。悪い癖だ。
「キレイ」だの「美しい」だのそういった言葉すら発せず、思わず、起こさずできたら最高の‟ハナミスト”だと思う。
言葉を使って生きているからこそ、時には言葉を捨てる努力も必要ではないか。
今年は5分間だけハナミスト。
