ホテイアオイから極楽へ
我が家のメダカの水槽には「アナカリス」と「ホテイアオイ」、2種類の水草を入れている。前者は酸素を発生させるため、後者はメダカの隠れ家兼産卵床のため、である。
どちらも“草”なので、放っておけばどんどん伸びる。アナカリスはひたすら枝が分かれて縦横無尽に水槽を埋め尽くそうとするし、ホテイアオイは親株を中心にランナーが放射状に広がり子株を作る。特に成長が著しいのは両者とも夏である。
今まで気にも留めていなかったが、今日ひとつ面白い発見をした。ホテイアオイは水槽の大きさに合わせて、茎や葉の大きさが変わってくるのだ。メダカの水槽に入れているホテイアオイの直径はせいぜい20cm程度(高さも同程度)なのに対して、石をくりぬいて作られた幅1.5m、奥行き0.5m、高さ0.8mほどの石槽(昔、馬に水を飲ませるために使っていたものらしい)の中のホテイアオイは直径50cmを超える。茎も水槽のものと比べると3倍ほど太い。
おそらく、障害物のない広い世界に置かれると大きくのびのび育つようだ。逆に水槽のようなすぐ壁にぶつかってしまうような狭い場所だと、小さく収まる姿になってしまうらしい。これは植物が持つ本能なのかもしれない。
これを人間に置き換えてみても同じことが言えるのではないだろうか。自由に行動・発言できるような環境に置かれた人間と、ルールや人間関係でがんじがらめな環境に置かれている人間がいる。前者は「自己」という芯(茎)が太く育ち、後者は人の顔色をうかがいながら仕事をしなければならないので芯が細くなる。これは良い・悪いという話ではない。芯が細くても十分に幸せならばそれでいいのだ。
最も広い世界はどこか。それは極楽浄土である。経典に「広大無辺」とあるのだから、浄土に往生した人はさぞ芯が太いのだろう。
極楽に比べれば人間の世界なんて、小さな小さな箱である。しかし、その小さな箱の中であっても心の中はいつでも太い芯を持ちたいと思う。
ホテイアオイの無言の説法に感謝。