もうっ!

待ち合わせ時間をだいぶ過ぎているのに相手が来ない。 「もうっ!」

車を運転中、急いでいる時に限って前の車がノロノロ。 「もうっ!」

2泊3日の家族旅行。楽しみにしていたのに旅行中ずっと雨。 「もうっ!」

皆さんも多かれ少なかれ似たような経験があるのではないでしょうか。今日という一日だけでも「もうっ!」という瞬間が幾度となく込み上げてくる始末です。この「もうっ!」こそ、怒りの感情。心に思う、口に出る、だんだんエスカレートして、物にあたる、人に手を出す。一線を越えてしまうと他者の命を奪うところまで発展していく…。その昔お釈迦さまが「怒りを捨てよ」とお説きになられたのは、先月の「欲」と同様、この「怒り」も増大すればブレーキが利かなくなるものだからです。

人が怒りを抱く理由は単純です。それは「自分の思い通りにならないと腹が立つ」ということ。冒頭の一つ目の例で言いますと、「自分の思い」は「相手が定刻に来ること」です。ところがその期待が外れてしまう。「定刻になったのに相手がまだ到着していない→自分の思い通りにならなかった→腹が立つ」となるわけです。

人は誰しも、ある程度「こういう風に物事が進むだろう」という想定のもと生活しています。だからその想定が外れる(狂う)ことに耐え難い嫌悪感を持ってしまうのです。

以前、私が車の免許更新のため、運転免許更新センターを訪れた時の話です。講習の時間に「だろう運転」と「かもしれない運転」という言葉に出遇いました。交通事故を起こす人というのは、「子どもや高齢者が飛び出してくることはないだろう」「少しくらいお酒が残っててもいいだろう」、というような、だろう運転(自分中心)になっている人が多く、逆に事故を起こしにくい人というのは「前の車が急に止まるかもしれない(から車間距離をとろう)」「左折の際、後ろから自転車やバイクが来ているかもしれない(から、きちんと注意しよう)」というように、かもしれない運転(相手中心)を常に心がけている人が多いとのことでした。

しかし、これはなにも車の運転に限った話ではないんですね。日常生活における「怒り」もまた「だろう運転」によって起こった「心の事故」の結果なのです。相手を慮る心の余裕がないと、つい自分中心の「だろう運転」で物事を見てしまうわけです。

全ての生き物は“縁”の中で生きています。縁とは「私の思い通りにならない世界」のことです。思い通りにならない世界の中で「思い通りにしよう」と勘違いしているのが人間です。「思い通りにならない」という真理に出遇えたならば上手に怒りをコントロールできます(ただし、怒りを完全になくすことはできません)。一方、まだ出遇えてない人はこれからも怒りに振り回されてしまうでしょう。

思い通りにならない場面に遭遇した時、責任を相手のせいにして自分の怒りを膨らますのと、この縁起の話を思い出して、改めて「やっぱり真理だなぁ」と手を合わせるのと、どちらが心豊かに過ごせるか、答えは言わずとも分かると思います。

今日一日、「もうっ!」の回数を減らす努力をしてみましょう。

もし昨日よりも減らせたならば、あなたは昨日よりほんのちょっと仏さまに近づけるのです。