おやつは300円
昨日ラジオを聞いていると、小学生の子を持つ母親のお便りが紹介されていた。その子は今月お別れ遠足があるらしいのだが、学校から来たお知らせに「おやつは自分が食べられる分だけ」と書かれていたとのこと。自分たちの頃は「おやつは300円以内」だったが、時代の変化に驚いた、という内容だった。
「おやつは自分で食べられる分だけ」というルールがその小学校独自のものなのか、最近の物価高の煽りを受けてのことなのか、はたまたお別れ遠足だったからなのか、ラジオを聞く限りでは詳細は分からなかったが、「金額にとらわれずに自由におやつが買える」というのは子どもからしてみれば嬉しいことだろう。
ただ私としては「自分で食べられる分」という言葉が少し頭に引っかかった。どうもそれが「個人主義」のように聞こえてしまったのだ。
私が子どもの頃は当然「おやつは300円以内」ルールだった。
その300円という制限の中で「自分が好きなもの(普段から食べ慣れているもの)」「こういう時にしか買えないもの」「友達とシェアするためのもの」「帳尻を合わせるための安価なもの(10円や20円のもの)」を選び抜き、自分が思う最強の布陣で遠足に臨んだものだった。
遠足のおやつは友達と交換できることが楽しいのだ。それが分かっているから最初から交換することを勘定に入れておやつをカゴに入れていたのである。
もちろん、今の子どもたちもおやつの交換をするだろう。金額の制限がないのだから、当時の私なんかよりもたくさん交換できるのかもしれない。けれども「自分で食べられる分だけ」という言い方が果たして適切なのか。
300円だったからこそ、私はいつも真剣勝負だった。
不自由の中に自由があった。
「自分で食べられる分だけ」には不自由がない。
私は自分が不自由な時代で育ってよかったと思う。
時代は変わったなぁ。