4月4日

4月4日は保育園から中学校まで共にした私の同級生の誕生日である。

覚えやすい数字の並びであり、クラスで一番早く誕生日が来る子だったので、高校が別々になろうとも毎年4月4日が来るたびに彼のことを思い出していた。

もう彼が亡くなって16年が経つ。

亡くなった知らせを受けた時、私は大学院生だった。

急いで新幹線のチケットを買い、京都から鹿児島へと帰った。

彼の家はうちの門徒であったので葬儀の導師は父が勤めた。

友として参列者側に座りたかったが、父に促され、法衣をつけて父の隣でお勤めした。

導師側としてはこれが私にとって人生初の葬儀だった。

人生初の葬儀が同級生になるとは思いもしなかった。

背中からは絶えずすすり泣く声が聞こえてくる。

そちら側へ意識を向けると嫌が応にも感傷的になってしまう。

経本の文字を一文字ずつ読むことだけに集中する―。

が、結局ダメだった。

式次第の終盤、あと5分で終わろうかという時点で心が決壊した。

声が出ないのである。いくら口を開いても「南無阿弥陀仏」の「な」が出ない。

隣に父がいなかったらどうなっていたことか。

葬儀の経験も初めてならば、読経中に声が出なくなるというのも初めてだった。

今までの自分のお勤めは「やっているつもり」になっていたと反省した。

今年も4月4日がやってきた。

やっぱり今年も彼の顔が頭に浮かんだ。