阿弥陀さまのマニフェスト
選挙が開催されるとなると候補者はこぞって自分のマニフェスト(政治的公約)を声高にアピールします。経済対策、子育て支援、医療制度などなど、「私が当選した暁には皆様に〇〇を約束します。そのためにはまず…」と具体的な政策を公言することで有権者から票を有利に集めようとするわけです。
ところが悲しいかな、当選してもそのマニフェストが実現することは極めて稀です。もしかすると議員さんは本当にそれを実現させようとしているのに、様々な“しがらみ”のせいで思うようにならないのかもしれません。しかし内情はどうあれ傍から見れば「約束を果たしていない」ことには違いありません。それでは有権者の信頼も揺らぎますし、積み重なれば政治不信へと繋がっていきます。どちらにとっても世知辛い世の中です。
一方、阿弥陀さまはマニフェストを実現された方です。
人間のマニフェストと仏さまのマニフェスト。今回はその違いをお話ししましょう。
『仏説無量寿経』というお経には、阿弥陀さまが仏となるまでの因縁譚が説かれています。
― 阿弥陀さまは元々、とある国の王でした。そこへ世自在王仏という仏さまが現れ、王に真理の言葉を語られます。王は世自在王仏の説法に深く感銘して、王の身分を捨て出家し、修行者となって名を法蔵と改めます。法蔵は師の世自在王仏に「どうすれば私もあなたのような素晴らしい仏となれますか?」と尋ねました。すると世自在王仏は「それはお前がどのような誓いを立てるかによる」と答え、神通力を使って法蔵に二百十一億の世界の様々な仏さまと、そこに住まう衆生の姿をお見せになります。法蔵はそれぞれの仏国土の優れた部分と劣った部分を見たうえで長い時間をかけて深く思唯し、ついには「私が仏となった時、私は念仏一つで“いつでも・どこでも・だれでも”仏となれる世界を作りたい。もしそれが叶わなかったならば私は決して仏とはならない」と誓いました(これが法蔵のマニフェストとなります)。
そして法蔵は誓いを成就すべく修行に打ち込みます。やがて途方もない年月を経て法蔵は修行を完成し、阿弥陀仏という仏さまになったのでした。
この話で注目すべき点はその順序にあります。
人間の場合は「(議員という)地位を得てからマニフェストを果たす」という順序です。
阿弥陀さまの場合は「マニフェストを果たせなかったならば(仏という)地位にはつかない」という順序です。
人間の場合、自分自身がまず最優先で、他者は二の次です。
それに対し阿弥陀さまは他者がまず先で、次いで自分のことを考えます。
ここに人間と仏さまとの大きな違いがあります。
地位を得て、権力を持って事を始めるよりも、小さな事でも実績を積み重ねて、人々の信頼を得てから地位に就くほうが何倍も人を幸せに導けると思うのですが、皆さんはどう思いますか?
