浄土真宗の永代経
「永代経」という言葉は中国で生まれました。
その昔、中国で儒教(道徳と先祖崇拝を宗とする教え)が盛んだったころ、人々は住居とは別に「祠堂(しどう)」という祖先の霊を祀るための小さなお堂をを建てていました。その後、中国へ仏教が伝来してくると寺院の境内に建てられた位牌堂も祠堂と呼ばれるようになります。そしてこの位牌堂で読経供養することを祠堂経といい、それを永代にわたって(世代を超えて)読経することを永代祠堂経と呼ぶようになったのでした。その永代祠堂経が略されて「永代経」という言葉となったのです。
儒教より生まれたものですので永代経は「死者に対する追善供養」の意味で扱われ、日本に伝わってからもその考え方はそのまま引き継がれ現代に至ります。そのため「永代経供養をしてもらったら、あとの面倒はお寺が見てくれる(=今後はもうお参りに行かなくてよい)」と考える方が結構いらっしゃいます。
しかし、私たち浄土真宗においては永代経の意味合いが他宗とは大きく異なるのです。
浄土真宗の永代経は儒教で言うような“故人のため”に勤めるものではありません。
故人を縁として“お寺のため”に勤めるもの、すなわち「自分の子や孫の代までこの地にお寺がしっかりと残り、浄土真宗の教えが伝わっていくように」というのが浄土真宗の永代経です。平たく言えば「未来の門徒のため」ということです。
永代経の際に包まれるお布施のことを「永代経懇志(こんし)」と言いますが、これはお寺の護持・発展のための積み立て貯金のようなものです。今現在、あなたが本堂で使用されている椅子も経本も、お焼香のお香ですらも元を辿ればそれは過去の方の永代経懇志によって購入されたもの。いわば先人たちの願いの中で私たちはお寺の備品を使わせてもらっているのです。
ですから、今、納められる永代経懇志は「未来のお寺の何か」に役立てられるというわけです。
永代経懇志に関しては納める時期に特に決まりはありません。大体は故人の「四十九日の前後」、あるいは「一周忌」や「三回忌」が多いですが、そもそも“故人のため”のものではないのですから、特に日を定めなくても結構です。
間違えないでいただきたいのは、いくら「未来の門徒のため」とはいっても、懇志さえ納めればいいというものではないということです。たとえ孫の代までお寺が存続しようとも、そこに聞く人がいなければ元も子もありません。浄土真宗の教えを次の世代に引き継いでいくためには何よりもまずあなた自身が聴聞者となり、積極的にお寺へ出かけ、その背中を子や孫に見せることが大切です。
永代経懇志は「終わり」ではなく「始まり」です。
私の仏法聴聞の第一歩が亡き方より与えられた、と受けとめて、今まで以上にお寺へお通いいただければと思います。
