仏さまの生き方は「ちょうどいい」

七高僧の一人、曇鸞大師の言葉の中に「蟪蛄(けいこ)、春秋を識(し)らず 伊虫あに朱陽の節を知らんや」というものがあります。蟪蛄というのはセミのこと。夏を迎えて地上に出てくるセミは秋を迎える前に命を終える。ゆえにセミは春や秋を知ることができない。ということはすなわち夏が夏であることも知ることができないのである。といった意味になります。

私たち人間が夏を夏だと知っているのは四季をすべて経験しているからです。一番暑い時期を夏、反対に一番寒い時期を冬、その間を春・秋と名付け、それぞれをその身で経験しているからこそ「今は夏だなぁ」ということができるわけです。つまり早い話が、人間は差異を比べる生き物であるということです。

しかしこの「比べる」ということ自体が時に悩みの種となってしまうのです。

学歴を比べる、収入を比べる、容姿を比べる、過去と現在を比べる…、私たちの生活はいつも何かと何かの比べあいです。比べれば当然そこには優劣が付きます。優れていると嬉しいし、劣っていると悔しい。けれどもいつまでも優れ続けられるかどうかは分かりませんから、安心はできない。だからたとえ今は優れていたとしても安心はできないわけです。

そもそもの原因は「優は良くて、劣は悪い」と考える自身の心にあります。いわば損得勘定です。

自分にとって損するものはなるべく遠ざけ、得するものはできるだけ手に入れたい。そのような心を人間は誰もが持っています。

老いるのは嫌だ、若々しく見られたい。

病気は嫌だ、健康であり続けたい。

死ぬのは嫌だ、生にしがみついていたい。

美容機器が売れるのも、健康食品が売れるのも、がん保険が売れるのも、根っこにあるのはみんなこの損得勘定が作用しているから。ですが、どれだけ嫌だ嫌だと言ってみたところで、時間は一方通行ですから変化は止められません。

一番の解決法は「比べる」ことをやめることです。

そのヒントとして真宗大谷派常讃寺の坊守、藤場美津路さんが作られた次のような言葉を紹介しましょう。

『仏様のことば』
  お前はお前で丁度よい
  顔も体も名前も姓も   お前にそれは丁度よい
  貧も富も親も子も    息子の嫁もその孫も     それはお前に丁度よい
  幸も不幸も喜びも    悲しみさえも丁度よい
  歩いたお前の人生は   悪くもなければ良くもない  お前にとって丁度よい
  地獄へ行こうと極楽へ行こうと     行ったところが丁度よい
  うぬぼれる要もなく卑下する要もない  上もなければ下もない   死ぬ月日さえも丁度よい
  仏様と二人連れの人生  丁度よくないはずがない
  丁度よいと聞こえた時  憶念の信が生まれます
  南無阿弥陀仏

あなたの口から不平不満が出るのは、あなたの心が「比べる」状態になっているからです。

今をそのままに受け入れられる、「丁度よい」の心となったとき、不平不満はこぼれなくなります。

「比べる」私を「丁度よい」私に気づかせてくださるはたらきが仏さまです。

そういうふうに考えてみますと、比べない(正確には比べられない)生き方をしているセミのほうが人間よりも幸せなのかもしれませんね。