自然と不自然

野生のメダカの寿命は平均して2年くらいなのだとか。

我が家のメダカの場合、3~4年生きている。

ヒーターやエアレーションなど、もっと環境を整えてあげると5年は生きるらしい。

「動物園の動物たちは幸せか?」という話を何かの本で読んだことがある。

行動が制限された檻の中で、一日中人間から見られる生活だから、彼らは相当なストレスを受けている、

というのが「不幸せ派」の意見。

確かに行動の自由はないものの、その反面、天敵に襲われる心配はなく、決まった時間に栄養が計算されたエサも提供される。病気になれば治療もしてもらえるのだからストレスよりも恩恵のほうが大きい、というのが「幸せ派」の意見である。

どちらが正しいのかは分からない。なぜならどちらも「人間」の意見であって、当事者である「動物」の意見ではないからだ。

ただ、私が思うのは「長生きが本当に幸せか」ということである。

長生きと幸せをイコールで結んでしまうと、短命な者は不幸せということになってしまう。

さらには長生きすることが目的化して、なんとしてでも延命させようという議論にすらなってしまう。

そのように考えると、メダカの2年は「自然」である。

人間が生き物を飼うことは「不自然」な行為である。

時代が下るにつれ、人間は「不自然」を好むようになった。

肉も魚も野菜も花も、スーパーに並ぶものはみな「不自然」である。

それを当たり前と思うようになってしまったことが何よりの「不自然」である。

「自然」に善悪はない。

だが「不自然」には善悪がある。

なぜならそれは人間のエゴの塊だからである。

メダカやヤゴを世話していると、時々そんな思いに駆られる。