ヤゴ観察日記 ⑥

何の前触れもなく、‟それ”は突然やってきた。

ヤゴが姿を消したのである。

前日の夕方には確かにいた。

それが今日の朝、影も形もなくなっていたのだ。

考えうる可能性は2つ。

「自力で逃げ出した」か、「鳥などの天敵に食べられた」か、のどちらかではないか。

まず「成虫(トンボ)となった」という可能性は低い。

それなら脱皮した抜け殻が残るはずだから。

ただ、これまでの経過観察からして「自力で逃げ出した」なんてことは考えにくい。

底のほうでジッと動かず、ただ獲物を待ち続ける姿を毎日見てきたからだ。

したがって「食べられた」んだと私は思う。

メダカにも、ボウフラにも、そしてヤゴにも済まないことをしてしまった。

ただ、ヤゴとの出遇いで、思うところも、学ぶところもあったのは事実である。

「法身はいろもなし かたちもましまさず しかればこころもおよばれず ことばもたえたり」

と親鸞聖人は仰った。

ある人は「阿弥陀仏は人間の認識を超えた存在であるから知覚できない存在である」という意味だと解説する。

だが私はこの言葉を「阿弥陀仏は様々な形となって私の前に現れるから、特定の色や形を持たぬ存在である」という意味で味わっている。

私から言えばヤゴは阿弥陀仏の化身である。

本体が阿弥陀仏だから、私は感化されたのである。

空になった水槽を前に、一人手を合わせるのであった。