仏さまの前で合掌する時、手に掛ける念珠。一般的には「数珠」という呼び名のほうが広く浸透していますが、私たち浄土真宗では伝統的に「念珠(正確にはお念珠)」と呼びならわしています。
そのはじまりは「数を数えるための道具」だったそうで、一説には釈尊滅後の仏教教団にて大勢の仏弟子たちを正確に数えるために用いられていたものとも伝えられ、それが元で「ものを数える珠→数珠」という名称になったのだとか。実際、浄土真宗以外の御宗旨では現在でも真言や陀羅尼を数えるための道具として使っています。
なぜ浄土真宗では数珠と呼ばないのか、といいますとそれは数えるものがないからです。
数えるものとはすなわち「お念仏の回数」のこと。お念仏の回数と浄土往生は無関係(他力の教え)のため、
数える必要がないのです。
念珠の念は‟おもう”と読みます。つまり「念う珠→念珠」ということです。念いの対象は阿弥陀さまであり、延いては「いのちそのもの」を指します。数限りないいのちの連鎖の果てに今、私という人間が生きている。‟今”が知られた‟心”、それが念うということです。阿弥陀さまの教えに触れて‟今”を知らされることから浄土真宗では念珠と呼ぶのです。
時々、念珠を持たずに合掌される方がおられますが、それは目上の方に対してタメ口で話すようなもの。
蓮如上人が『御勧章』の中で「念珠をかけず礼拝するのは仏さまを素手でつかむようなものだ」と誡めているように、
それは大変に不敬な行為です。それに「打敷」の項でも書きましたが、平時と非時を「形から変えること」が一番大切なのです。俗から聖に自分の心を切り替えるためにも念珠は必ず掛けてお参りしましょう。
仏教徒にとって念珠は大切な法具です。
くれぐれも直接床(=畳)の上に置いたり、ぞんざいに鞄の中に入れたり、子どもがおもちゃにしたりしないよう丁寧に扱ってください。