檀家と門徒の違い

檀家と門徒の違い

他宗では、特定のお寺に所属してそのお寺を支えてくださる方々を「檀家(だんか)」と呼びます。一方、浄土真宗ではこれを「門徒(もんと)」と呼んでいます。ところが檀家という呼び名のほうが世間的に定着していることもあって、真宗の御門徒さんの中にも自分たちのことを檀家とおっしゃる方もおりますし、私自身も時間がないときはつい「門徒というのは檀家と同じ意味ですよ」と言葉を端折って説明してしまうことがあります。

でも本当は同じ意味ではないのです。真宗が「門徒」と呼ぶのは、ちゃんとした理由があるからなのです。

上の2つの絵を見比べてみてください。檀家のほうは一般人だけですが、門徒のほうは一般人に加えて僧侶が含まれています。

この点がが檀家と門徒の大きな違いです。 

真宗の開祖、親鸞聖人は生涯を通して「阿弥陀仏(=悟った者)と凡夫(=迷える私)」という立場で我が身を見つめられた方でした。仏さまを前すれば、人はみな愚かさを抱えた存在にすぎず、仏と人間の間には厳然たる上下関係はあれど、人間同士に優劣はない、というのが聖人の一貫した人間観でした。聖人の言葉に「御同朋・御同行(おんどうぼう)・おんどうぎょう」という言葉があります。「僧侶といえども人間であることには変わりはありません。同じ仏弟子として共に手を合わせ、一緒に教えを聞いてまいりましょう」という意味ですが、ここに真宗が「門徒」と呼ぶ理由があるのです。

門徒の「門」は宗門という意味で「浄土真宗」のこと。「徒」は“ともがら”と読み「仲間」のこと。

縁あって同じ宗門で出遇えた仲間。僧侶と俗人を上下関係でみるのではなく並列関係でみていく姿勢が、門徒という名称に表れているのです。

並列関係だからこそ、真宗の僧侶は高圧的な態度をとったり、上からものを言ったりしてはいけないのです。

並列関係だからこそ、真宗の俗人はお寺でのお勤め(=お経)を僧侶だけに任せてはいけないのです。

お坊さんでありながらも、「お坊さん」の看板をぶら下げない人が、正しい浄土真宗のお坊さんです。

一般人でありながらも、いつでも「お坊さん」たる生き方をできる人が、正しい浄土真宗の俗人です。

ポイント:「門徒」というのは、自分の中で僧侶と俗人に境界線を引かないこと。