法事の併修
とある故人の法事に合わせて他の故人も一緒にお勤めすることを「併修(へいしゅう)」といいます。組み合わせとしては「年忌と年忌」「年忌と祥月命日」「祥月命日と祥月命日」の3通りになるわけですが、これが同じ年・同じ月に重なるならまだしも、「本当は1年ズレているけど、引き寄せて両名とも年忌として勤めてもらおう」とか「もう一人の命日は半年以上先だけど、一緒にしてもらおう」というのは些か考えものです。
もちろん家族によって身体的要因や地理的要因等の様々な事情がありますから、併修がおしなべてダメとは言いません。しかしそれは「やむを得ない」場合であって、これをもし「当然」だと考えているのならそれは遺族の横着でしかありません。
なにより私たち浄土真宗において法事というのは‟故人のため”ではなく、‟私のため”に行うものです。世間では「故人を弔う」という言い方をしますが、真宗では(阿弥陀仏のはたらきによって)故人はすでに浄土に生まれ、諸仏となっておられるため、わざわざ「故人を弔う」必要がありません。その代わり「諸仏となられた故人が今、そのはたらきとして命日にこの私を仏前に招いてくださった」と味わい、「私が仏法聴聞させていただく日」として法事を勤めます。ですので併修にするということは、せっかくの聴聞の機会を自らの手で手放してしまうことであり、仏さまとなられた故人の思いをないがしろにすることと同義なのです。
「自分の都合ばかり優先させて、自分勝手に生きている我が身である」と気づかせてもらうためにも、1回でも多く手を合わせる機会を増やしてほしいものです。そしてなるべくなら家族だけでなく親類・縁者の方もお呼びして一人でも多くの方に仏縁に遇っていただくのがよろしいでしょう。呼ぶ人数が増えれば増えるほど施主の負担は大きくなりますが、仏さまの御苦労に比べれば大したことではありません。法事こそまさに恩徳讃の「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」の実践行なのですから。
当寺の御門徒さまの話ですが、以前法事でこんなことがありました。
その年、年忌が重なったということで、この御門徒さまは県外の方にも声をかけ、総勢50人以上の賑々しい法事を勤められました。通常ならここで「はい終わり」となるのですが、この御門徒様は違いました。その10日後に今度は家族だけでお寺へ来られ、そして「今日が(併修したもう一人の)本当の命日ですので」と話し、もう一度法事をなされたのです。以前から‟二度勤め”という言葉があるのは知っていましたが、実際に私がそれを勤めるのは初めてで、深い感動を覚えました。
たとえ二度勤めまではできずとも、せめて併修された故人の命日には、おうちのお仏壇の前で手を合わすとともに、自己を振り返っていただきたいものです。
