冥福を祈る
訃報の際によく耳にする「ご冥福をお祈りいたします」という言葉。死を悼む言葉として世間一般に広く使われている言葉ですが、いざ「冥福とは一体何ですか?」と問われると、答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか。
言葉は意味を理解して発してこそ心がこもるもの。「死者に対してはとりあえず冥福を祈ると言っておけばいい」というような思考停止状態ならそれはロボットと変わりありません。
ここではその意味を知ると共に、遺族に手向ける言葉として本当に適切なものかどうかということも考えながら読んでみてください。
ではさっそく「冥福」の意味から。
この「冥福」というのは「冥途の幸福」という言葉を略したものです。さらに分解しますと「冥途」の「冥」は「(光の一切届かない)真っ暗な場所」のこと、「途」は「道のり」のこと。つまり「冥福を祈る」とは「真っ暗な死者の世界でもどうかお幸せに」という意味になります。
浄土系以外の宗旨では「死者は次の行き先が決まるまでに四十九日間を要する」という立場を取ります。それを昔の人は旅になぞらえて死出の旅路と表現しました。四十九日間の道のりをトボトボと独り寂しく旅する故人に対して、“来世は良い世界に生まれてくれよ”という思いで「冥福を祈る」と言ったのです。
一方、私たち浄土真宗を含む浄土系の宗旨では「往生即成仏」、すなわち「命終えると同時にすぐさま極楽浄土へ生まれ、仏となる」という立場を取ります。なぜならそれが救い主である阿弥陀さまのはたらきである、とお経の中に説かれているからです。そしてこの極楽浄土は「無量光明土(=量りなき光に満ちた世界)」とあります。故人は阿弥陀さまの力によって旅をする間もなく即座に光り輝く世界に往生していくのですから、「冥途」とは全くの無縁なのです。
そしてもう一つ大切なことは「浄土に往生するということが、(私が生きているうちに)すでに阿弥陀さまによって約束されている」という点です。これはつまり「祈る必要がない」ことを意味します。人が祈るのは先がどうなるか分からないからです。先がはっきりと分かっているのなら祈りは不要です。ましてやそれが極楽浄土という確かな世界なのですから、これはもう言わずもがなでありましょう。
以上のことから浄土真宗では「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は使いません。その代わりとして「哀悼の意を表します」や「謹んでお悔やみ申し上げます」という言葉を使います。これらはどちらも「私は悲しいです」というのを丁寧にした言葉です。
しかし、使い慣れない言葉を無理に言うよりも、そのままの気持ちを自分の言葉で伝えるほうが何倍も遺族の心に響くと思いますよ。
