お斎

お斎

お釈迦さまが世におられた頃より仏教教団では「出家者は午後に食事を取ってはならない」という戒律がありました。

そのため修行者たちは朝に托鉢(たくはつ:お椀を持って家々を回り、食事の布施を受けること)に出かけ、午前中に食事を済ませていました。

そこから「正時(しょうじ)」、「非時(ひじ)」という2つの言葉が生まれます。正時は「午前中(=正午まで)に取る食事」のこと、非時は「正時以外の時間に取る食事」のことです。

やがてこの「正時」「非時」の“時”が「斎」の字となり、現在では時刻を問わず法事後に参詣者が集まって食事を共にすることを「お斎(とき)」と呼ぶようになりました。

法事とお斎を並べたとき、法事(=読経・法話)のほうが大事であることは言うまでもありません。ところが「すぐに食事を始められるように」と法事の途中で退席して奥で準備を始められる方や、「もう(会食する)お店の予約が迫っているので」という理由で法話を聞かずに帰られるご家族を時々拝見します。まるで法事が“食事のついで”になってしまっている現実にいささかの寂しさを覚えます。久々に会う親族らと食事の席で互いの近況報告に花を咲かすのは結構なことですが、まずは「故人のおかげで、こうして会うことができていること」「同じ場所で同じ時間を過ごせることの意義深さ」に心を向けてほしいものです。

さてお斎の内容ですが、今の時代、ことさら精進料理にこだわる必要はないでしょう。

もちろん「精進料理がダメ」という意味ではありません。精進料理でもいいのです。

仏教において重要なのは「自分が生きるためには他の命を奪わねばならない」という真理に気付くことにあります。

ですから目の前のいのちにしっかり感謝して味わい、それをこれからの自分の正しい活力とするなら、野菜に限らず肉でも魚でもいいのです。

「いのちの連鎖の先に私が生まれた」というのは何も人間だけではありません。すべてのいのちがそうなのです。

読経後の法話の時間というのは、「私がいのちの真理に目覚めていく時間」に他なりません。

せっかく故人より仏縁が与えられたのですから、むざむざそれを放棄してしまっては勿体ないではありませんか。

ちなみに浄土真宗ではいのちに目覚めていくきっかけにと「食事のことば」があります(文言は各派で若干違います)。

私たち真宗興正派の場合は次のような言葉です。

「食前のことば」

一粒一滴(いちりゅういってき)みなご恩

不足を言っては もったいない

感謝でおいしく いただきましょう

いただきます

「食後のことば」

今 尊い食を終わって

心豊かに力 身に満ちる

この心身をもって おのが業(わざ)に励みましょう

ごちそうさまでした

また教化活動の一環として本山より「食事のことば」の下のようなリーフレットも作成されています。

▲ サイズは往復葉書ほどです
▲ 二つ折りにして使用します

リーフレットはお寺に置いてありますので、お気軽にお申し付け下さい。(無料です)

ポイント:お斎よりも法事が大事。お聴聞を通して“自分を支えてくれているいのち”に目覚めていこう。