真宗と『般若心経』

真宗と『般若心経

『般若心経』というお経があります。文字数はわずか262文字。その短さ・手軽さから一般向けの写経の手本にもよく用いられ、また世に広く普及していることから実はカラオケの曲目にもなっている「日本一有名なお経」です。

真言宗・天台宗・曹洞宗・浄土宗など宗旨を超えて読まれているお経ですが、私たち浄土真宗ではこれを勉強することはあっても、お勤めで使用することはありません。それはその内容が真宗の教えに合致していないことが理由です。

まず『般若心経』がどんなお経か、ということからお話しましょう。正式名称を『仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)』といい、これは「お釈迦さまが説かれた(=仏説)偉大な(=摩訶)悟りの境地(=般若)へと至るための(=波羅蜜多)究極の(=心)教え(=経)」という意味になります。

そこに書かれているのは、「空(くう)の思想」です。簡単に説明しますと、全ての事象は縁によって生まれ縁によって滅していくから“定まった形”などというものはない、という考え方です。本当はすべて「空(定まった形がない)」であるが、私たちは無明であるが故にいつも固定(定まった形がある)して物事を見ており、その間違った見識が悩み・苦しみを生み出している。だから空を体得するための修行が必要である(空の思想を理解すれば悩み・苦しみから解放され、悟りへと至ることができる)、というわけです。つまり、この私が空という高度な見識を得るための修行法が書かれた経典が『般若心経』なのです。

自分の力で悟りを目指すことを仏教では「自力」といいます。しかし自力の修行は人によってそれぞれ能力に差がありますから、すべての人がひとしく修行を完遂できるわけではありません。必然的に「完遂する人」と「完遂できない人」が出てきてしまいます。そんな自力修行の限界性に着目された一人が親鸞聖人でした。

そこで親鸞聖人が帰依したのは阿弥陀さまによる救い、すなわち仏の力を頼りとする「他力」の教えでした。仏さまの力に依るからこそ人間側の差異は問題とならず(故に自力修行は不要)、ひとしく悟りの世界に向かうことができるのだと、そしてその仏さまこそ阿弥陀さまだけであると親鸞聖人は説かれました。

自力と他力。ともに悟りを目指すというゴールは同じでも、その手段(行き方)が全く異なります。『般若心経』は自力による修行法を説いたお経です。それがどれほど正しかろうと、我が身に実践できないのであれば絵にかいた餅に過ぎません。その内容が‟私の身の丈に合わない”ことから浄土真宗では『般若心経』を読まないのです(これは『般若心経』の程度が低いのではなく、凡夫である私の側の程度が低いという考え方です)。

お経は「読めればいい」というものではありません。書いてある内容を実践できてこそ、私のためのお経となるのであり、そこにお経の真価があります。私たち浄土真宗でお勤めするお経は他力の教えが説かれた浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)のみです。日常のお勤めの際には『般若心経』ではなく、『仏説無量寿経』の中にある「讃仏偈」や「重誓偈」をお称えするようにしましょう。

ポイント:『般若心経』は自力修行を説いた経典。真宗は他力の救いを教義とするためこれを用いない。