お布施に関する質問
Q. お布施はいくらくらい包んだらいいですか?
A. いくらでも構いません。
世間では「あなたの月収の2%程度」といわれているそうですが、たとえ10円であっても手を抜くことはしませんし、1億円だろうと特別何か加えるということはありません。
まれに、お布施の額を提示してくる僧侶や、少ないことを理由に施主に突き返してくる僧侶もいるそうですが、それらは僧侶の側が間違っているのです。
Q. お布施の表書きは何と書けばいいですか?
A. 真宗の場合は、どんな場合でも「御仏前」です。
他の宗旨では満中陰(四十九日)までは「御霊前」、満中陰後は「御仏前」と説明しておられる所もありますが、真宗では亡くなった方ではなく、仏さまに向けて供えるので「御仏前」一択です。
Q. 金封に使われる水引、結び方と色に決まりはありますか?
A. 特にこだわらなくていいです。
水引の結び方は大きく分けて「蝶結び」と「結び切り」の二種があります。一般に何度でも繰り返してほしいものには「蝶結び」を、逆に繰り返してほしくないものには「結び切り」を使うのがマナーとされ、法事は「結び切り」にするよう言われています。
しかし、真宗において法事というのは仏法を聴聞できる「喜びの場」。なるべく多く足を運ぶべきものですから、私としては「蝶結び」でも結構ではないかと考えます。
また、水引の色も慶事には「紅白」、弔事には「黒白(もしくは黄白)」とマナー上は言われていますが、上と同じ理由で私は紅白でも構わない、むしろ紅白が正しいと考えます。
Q. お供え物にお菓子や果物は必要ですか?
A. 絶対に必要というものではありません。
「お布施」と聞くと大抵の方はお金を連想しますが、お菓子や果物も仏さまに供えるものはすべて「お布施」です。「お布施はみな仏さまにお供えする」。ただそれだけのことです。金額や量の多少は関係ありません。
当寺のご門徒さんの中にはパンを持ってきてくださる方もいらっしゃいます。
お寺でのお参り(参詣)に関する質問
Q. 車椅子で本堂へ入れますか?
A. 入れます。
本堂横のスロープからお上がりいただけます。
また、当寺にも車椅子をご用意しておりますので、必要な方はお気軽にお申し出ください。
Q. 個人の位牌(過去帳)や遺影は持ってきたほうがいいですか?
A. どちらでも構いません。
お参りの目的は「この私が仏法を聞く」。この一言に尽きます。
位牌や遺影があったほうが、より真剣に聞けるというのなら持ってきたほうが良いでしょうし、なくても集中できるというのなら持ってこなくても大丈夫です。
Q. 一度の法事で複数の故人をお勤めしてもらってもいいですか?
A. 一人ずつきちんとお勤めするのが原則です。
「年に何度もお参りの日程を調整するのは難しい」「遠方の親戚を毎回呼ぶのは迷惑になる」等の理由で、複数人の年忌や祥月命日をまとめてお願いされる方がたまにいらっしゃいますが、結局それは「自分の都合を優先させている」ということです。
ただでさえ仏法を聞こうとしないのが私たちです。せっかくの機会をみすみす逃すなんて勿体ないではありませんか。一度でも多く仏縁に遇わせて頂く、それが真宗門徒の心構えです。
Q. お参りが命日よりも遅くなったらいけないのですか?
A. 全く気にすることはありません。
これは「命日を過ぎてしまうと、ついお参りを忘れがちになってしまうから、命日までにはお勤めを済ませておきなさいよ」という先人の教訓より生まれた言葉です。
しかし現代は仕事環境の変化もあって、「なかなか命日の日に都合を合わせられない」というのも事実でありましょう。お参りが命日の前後になるのは何も問題ありません。問題なのは「お寺参りを忘れてしまうこと」です。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 特に決まりはありませんが、せっかくなら気持ちが切り替わるものが望ましいです。
お葬式の場に普段着で来られる方はおりません。それはお葬式が日常ではない特別な場であることを皆さん心得ているからです。
では、お寺でのお参り、それも年忌ではなく祥月命日だったら…。このあたりは人によって日常と見るか、特別と見るか、服装の線引きが分かれるところです。
結論から言いますと服装は何でも構いません。ただやはり正装のほうが背筋が伸びますし、法事に臨む意気込みも違ってくるのではないでしょうか。なにより目の前にいらっしゃるのは自分の「お友達」ではありません。道を教え、導いてくださる「仏さま」です。
大切なのは外見上の身なりではなく、内面の心です。しかし心は大きく外見の影響を受けるものです。「形から入る」ことも時には大事です。そういう理由から私は正装がより望ましいと思います。
Q.お焼香のタイミングが分かりません。
A. いつでも行って大丈夫です。
時々、お勤めの前に「頃合いになったら、お坊さんのほうでお焼香の合図を出してください」とおっしゃる方を拝見します。間違えたくないという気持ちはお察ししますが、「他人から言われて(合図を出されて)動く」というような、「思考停止人間」にはならないでほしいのです。
「いつ」席を立っても構いません。「何度」席を立っても構いません。「誰から」席を立っても構いません。これがお焼香の心得です。
Q. お焼香の作法が知りたいです。
A. 百聞は一見にしかず。こちらの動画をご覧ください。
Q. 合掌の時、お念珠を掛けるのは片手だけですか? それとも両手ですか?
A. 両手です。
仏教では右手は清浄を意味し、転じて一切の心の垢を滅し尽くされた仏さまの心を表します。一方、左手は不浄の意味で、煩悩に振り回される私たち人間の心を表します。
その昔、お釈迦さまが「自分の心(右手)を仏さまの心(左手)に照らし合わせることによって、自らの愚かさに気づいていきなさい」と説かれたことから合掌という作法が生まれました。
ぴったりと両手を合わせて、お念珠を掛ける。それが合掌の作法です。
Q. 永代経をお願いすれば、もうお参りしなくていいのですか?
A. とんでもない心得違いです。
永代経というのは「永代読経」を略したもので、「子や孫の代にわたってお寺が存続し、正しい教えがいつまでも伝わってほしい」という意味になります。
また、永代経のお布施を「永代経懇志」といいますが、これは「故人」に向けたものではありません。「将来のお寺」に向けて納めるものです。
テレビ等を見ておりますと、「故人を永代にわたり、お守り・供養します」という類いの広告が流れていることがありますが、これが誤解を生む一因となっているのかもしれません。
よくよく思い返してみますと、現在の本堂もその備品も、過去のご門徒さんたちが永代経懇志によって遺してくださった大切な財産であり、それを私たちが今、使わせてもらっているのです。
よって、あなたの永代経懇志は未来の正覚寺のために役立てられていくのです。
Q. お寺ではなく自宅へお参りに来てもらうことはできますか?
A. もちろん可能です。
どこへでも馳せ参じます。
予約の際に「自宅でのお参りを希望」と伝えた上で、ご住所をお教えください。
Q. 正覚寺の門徒でなくてもお勤めしてもらえますか?
A. 問題ありません。
お寺というのは「誰にでも開かれた場所」です。
何かのきっかけであなたが正覚寺をお知りになったのも、阿弥陀さまの救いの手立て(還相回向)でありましょう。
ただし、浄土真宗は「仏法聴聞」こそが肝要ですので、お経だけ済ませて「はい、さようなら」ではなく、そのあとの法話もしっかり聞いて帰ってくださいね。
お仏壇に関する質問
◇すでにお仏壇をお持ちの方
Q. お仏飯は毎朝供えなければいけませんか?
A. ご飯を炊いた時に供えればいいでしょう。
食生活が多様化した現代、毎朝ご飯を炊くという家庭は昔に比べると少なくなってきています。朝はパン食という所もありますし、食べないという所もあるでしょう。お仏飯のためにご飯を炊く、というのは大変でしょうし、現実的ではありません。
したがって、昼食にご飯を炊くならお昼の時間帯に、夕食で炊くなら夜の時間帯にお供えする、というような形で大丈夫です。そして、お下げしたお仏飯はしっかり頂きましょう。供えて食すまでがお給仕です。
Q. お水やお茶は供えてはいけないのですか?
A. 意味を正しく理解しているなら、お供えしてもいいでしょう。
「仏さまののどが渇かないように」という思いでお水を供えるのであれば、それは間違いです。仏さまがおられる極楽浄土という世界は飢えも渇きもない「満たされた世界」です。のどが渇くということは一切ありません。
お水にせよ、お茶にせよ、これらが私の手元に届くまでどれほどの自然の力と人の手が関わっているのか私たちは知るよしもありません。そういった不可思議な縁に感謝し、「おかげさまで、ここに一杯の水(お茶)が私のもとへ届きました」という心で供えるのならば、私は供えてもいいと思います。
Q. 仏花について教えてください。
A. 仏花は極楽浄土の姿を表すお荘厳の一つです。
『仏説阿弥陀経』の中に「極楽浄土は色とりどりの花が咲きほこる世界である」と説かれていることから、それにならって体現したものが仏花です。
一般に「極楽浄土は清らかな世界であるから、毒・トゲ・悪臭を有する花は仏花としてふさわしくない」というような説明がなされます。
しかし、「いのちに差別はない」というのが極楽の本質ですから、どんな姿であれ、私はいのちいっぱいに生きている花は、みな仏花として認めるべきと考えます。
ただし、造花はいけません。「生と死が共存していること」がいのちなのですから。
Q.「おリンは打たない」というのは本当ですか?
A. 打つ場合と打たない場合があります。
お仏壇の前に座って手を合わせる時、何の気なしに備え付けのおリンを「チーン」。よく見かける光景ですが、実はこれは間違いです。
おリンというのは読経の際、周囲にお経の始まりと終わりを知らせるために用いるものです。したがって、お経を読まない(=合掌・礼拝のみ行う)時はおリンを打ちません。
だからといって、「私はお経が読めないのでおリンは打ちません」というのはいささか早計です。ご自宅でもお経が読めるように、お寺参りの際にしっかりと練習しましょう。
Q. お線香は立てるのですか? それとも寝かせるのですか?
A. 浄土真宗では寝かせて使います。
他の宗旨ではお線香を立てて用いるところもあります。例えば禅宗ですと「お線香が燃え尽きるまで座禅を組む」と聞きます。つまり、お線香は時計代わりなのです。寝かせてしまうと目視できないので、立てて用いるというわけです。
浄土真宗がお線香を寝かせる理由は主に二つあります。一つはお線香の前身である「燃香に由来しているから」(コラム「燃香の話」リンク)というもの。もう一つは火災予防の観点から「立てると危ないから」というものです。
お線香は適当に折って、寝かせて使いましょう。
Q. 位牌が多すぎてお仏壇の中に入りきりません。
A. 過去帳に書き換えましょう。
まず、確認しておきますが、お仏壇は「故人を祀る場所」ではありません。お仏壇の中を故人が好きだった食べ物や嗜好品でいっぱいにされている方を見かけますが、これはまさしくお仏壇を故人の魂が入っている箱として考えているからでしょう。
お仏壇というのは、読んで字のごとく「仏さまを安置する場所」です。私たちが手を合わせるのは故人ではなく、仏さまです。ですので、そもそもお仏壇の中に位牌は入れないものなのです。
過去帳というのは位牌に代わって故人の俗名や死亡年月日などを記録しておく冊子のことです。ご自身で書き写してもいいですし、お手次のお寺で書いてもらうこともできます。
繰り返しになりますが、お仏壇の主役は仏さまです。過去帳はお仏壇の中央ではなく、下段に置くようにしましょう。
Q. 古いお仏壇を処分したいのですが…
A. とりあえずお寺にご相談ください。
「新しいお仏壇を購入して、古いお仏壇を処分する」という場合は購入元の仏壇屋さんが引き取ってくれることが多いです。一方「購入はせずに古いお仏壇だけ処分したい」という場合はお寺へご連絡ください。相談の上、引き取り業者をご紹介致します。
◇これからお仏壇を購入予定の方
Q. お仏壇はいつ買うものですか?
A.「なるべく早く」です。
「仏壇なければ家とは呼べず、ただの小屋。仏壇入ってはじめて家は家となる」と昔の人は言いました。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、今を生きる私の心の拠り所となるのがお仏壇です。
死者を祀る場所ではありませんので、「家族に死人が出たら買う」というのは誤りです。
「いつでも親様(=仏さまのこと)は見てなさる。私が悪さをしても罰は当てんが、誰よりも悲しみ泣いておられる」。これは以前、先輩より教わった言葉です。
犯罪が絶えない今の日本社会に最も必要なのは、罰則ではなく畏敬の念を育てることなのではないでしょうか。
Q. どんなお仏壇を買えばいいのですか?
A. 「あなたが気に入ったもの」です。
仏壇屋さんへ行くと、漆塗りのもの、金箔を貼ったもの、木目を生かした木地のもの、など実に様々なものが並んでいます。また、形や大きさも種類が豊富で、伝統的なものはもちろんのこと、最近は現代的な部屋にも違和感なく置ける家具調仏壇というものもあります。
お坊さんの中には「うちの宗派は〇〇だから、お仏壇は〇〇を買わなければならない」という方もおりますが、私は「ご自身が気に入ったもので構わない」と考えます。
どんなに高価で立派なお仏壇を買おうと、毎日手が合わさらないのであれば、それは置物と変わりません。大事なことはお仏壇自体の外見ではなく、日々手を合わして自己を見つめる心です。
お墓に関する質問
Q.(葬儀が終わった後)納骨はいつごろするのがいいですか?
A. 家族の心がひと段落付いた頃が一つの目安です。
当寺では四十九日(満中陰)を一つの節目として納骨日とされるご家族が圧倒的多数でありますが、これは別に「四十九日に納骨をしなければならない」ということではありません。
おうちによっては、火葬したその日のうちに納骨されるところもありますし、また一方で「まだ寂しいから手元に置いておきたい」との理由で三回忌を過ぎてもなお納骨をされていないお宅もあります。
故人に対する遺族の思いは決して同じではありません。一人ひとりが故人の遺骨と向き合う中で対話をし、心の整理がついたところで納骨されることをお勧めします。
Q. 仲が悪かった者同士を同じ墓に入れるのはよくないのですか?
A. 気にすることはありません。
嫁と姑、夫と妻、果ては親子や兄弟すらも縁によっては対立し、いがみ合う関係になってしまうのが悲しくもこの世の事象であります。しかしそれはあくまで「この世」での話であって、極楽浄土に生まれた者はこれまでのいさかいや、わだかまりから解放されるとお経の中にきちんと説かれております。
むしろ、いつまでも世俗の頃の故人を絶対視し、それに縛られてしまっている遺族の側こそ目を覚まさなければなりません。
つまりは、極楽浄土は「亡き人を通して私の心が解放されていく場所」であるということです。
その他の質問
Q. お寺でのお勤めは何時から何時まで受け付けていますか?
A. 基本的には朝8時から夜6時まで受け付けています。
お寺での参詣を希望される方は、上記の時間で予約をお願いします。 ただし、枕経のような急な場合はこの限りではありませんので、何時でも大丈夫です。
緊急の場合を除いて、お寺への電話は朝6時半から夜10時までにしていただけると助かります。
Q. 本堂、納骨堂の開放時間を教えてください。
A. 本堂は朝7時から夜6時まで(お勤めがある場合は夜7時まで)。納骨堂は朝6時から夜8時まで開いています。
上記の時間でしたら、いつでも開放しておりますので、ご自由にお参りください(尚、お勤め以外の時間は本堂を消灯しております。その際はお気軽に玄関へお越しいただきお申し付けください)。
※本堂が法事中の場合は、恐れ入りますが入堂をご遠慮ください。
その他分からないことがありましたら、お電話もしくはメールにてお問合せください。