世の中、幽霊だらけ

幽霊と聞いて、皆さんはどういう姿を思い浮かべますか?

おそらく日本人の多くは「白い着物」を着て、「頭に三角頭巾」をつけて、「体が少し透けて」いて、「地面から浮いている」、そんな姿を想像するのではないでしょうか?

日本で初めて足のない幽霊を描いたのは円山応挙といわれています。

応挙は「幽(かす)かな霊」というイメージを具現化するために、体の色を可能な限り薄くし、足を省いて重さがないことを表現しました。これが現代まで続く日本人の幽霊観のルーツになったといわれています。

では幽霊は本当にいるのか? ということですが、私は自信を持って「幽霊はいる」と断言します。

とは言っても、私の言う幽霊は応挙が描いたような幽霊ではありません。

今、現に生きていて、普通に生活をしている方の中に幽霊がいるのです。

私が言う幽霊とは「地に足が着いていない者」のことです。言い換えると「本当の拠り所を持っていない人」ということになります。

多くの方が拠り所としているものといえば、一に自分の健康、二に財産、三に家族があげられるでしょう。ほかにも地位や肩書き、名声や評判といったものを拠り所とされている方もいらっしゃるかもしれません。しかしたとえそれらすべてを含めたとしても、ここに挙げ連ねたものは【つかの間の拠り所】に過ぎず、【本当の拠り所】にはなりえません。なぜなら、いずれもいつかは自分の手元から離れていってしまうものばかりだからです。

若い内は気にも留めなかった自分の体も、年を重ねればあちこちにガタが出始め、怪我や病気にかかりやすくなります。財産も使えば消えていきますし、保持していたとてやがては老朽化し価値が下がっていきます。家族もまた同様で、成人、結婚、あるいは寿命によっていつかは離ればなれになる日が来ます。そう、私たちが拠り所だと思っているものは一時的には自分のそばに寄り添ってくれますが、ずっとは寄り添ってくれないのです。そして別れがあるからこそ、そこに不安や恐れ、後悔が生じるのです。

【本当の拠り所】とは片時も私のそばを離れないものです。別れることがないから不安も恐れも後悔もありません。ですから【本当の拠り所】を持つ人はどんな状況におかれても心を平穏に保つことができるのです。

【本当の拠り所】、それは仏さまの教えに生きることです。

仏さまが「良し」としたものだけを日常の中で実践し、「悪し」としたものは遠ざける。ただそれだけです。

仏さまの教えを聞くことではじめて【本当の拠り所】が分かり、【本当の拠り所】が分かるからこそ私のこれまでが【つかの間の拠り所】であったと明らかになるのです。

親鸞聖人は主著の中で「心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念を難思の法海に流す」との言葉を残されておられます。弘誓の仏地とは私のために説いてくださった仏さまの教えのこと。大樹が大地に広く深く根を張るように、私が教えに生きる人間となればどんな風が吹こうとも揺らぐことがないのです。これこそまさに「地に足が着いた者」なのです。

あなたは周囲に流されてばかりの人生を送っていませんか?

せっかく人間として生まれたのですから、幽霊になってしまっては勿体ないことです。

今、自分が拠り所としているものを深く見つめてみてください。

それはこれから先もあなたのそばに居続けてくれるものでしょうか?