正覚寺について

正覚寺の歴史

歴史は100年そこそこ

正覚寺の開基は大正2年(1913年)です。人間でいうと100歳ちょっとということになります。
一方、京都や奈良には300歳、500歳、中には1000歳を超えるというようなお寺もあります。
100歳と1000歳―。開基年数で比べるならば正覚寺はまだまだ若いお寺です。

どうして正覚寺の歴史は浅いのか。それは正覚寺が「浄土真宗のお寺」だからです。

その昔、鹿児島がまだ薩摩と呼ばれていた頃のお話です。
時の大名、島津のお殿様は浄土真宗が大嫌いでした(詳しくは「かくれ念仏探訪記」のページをご覧ください)。そこで藩を上げて念仏を禁止し、僧俗問わず浄土真宗の信者を徹底的に弾圧する政策を行います。その期間、実に279年。時代が変わり、明治政府が信教の自由を公布するまで、鹿児島には一軒も浄土真宗のお寺はありませんでした。現在、鹿児島にある浄土真宗のお寺はすべて、明治時代以後に建てられたものです。つまり、正覚寺が特別若いのではありません。特殊な時代背景によって、みんな若くならざるをえなかったのです。

とは言え、今はまだ若くても、この先もお寺が存続していくならば我々だって300歳、500歳と年を重ねることは可能でしょう。皆さんと共に未来につなげる「場」を創造していくお寺、それが正覚寺です。

出張所からのスタート

上述のように、正覚寺の歴史は大正2年から始まります。
しかし、それよりも前に正覚寺が「青戸説教所(※青戸はこの辺りの地域名)」と呼ばれていた時代がありました。

そのころ青戸にはお寺がなく、人々はここから南へ6㎞の場所にあるお寺(真宗興正派ではない他派のお寺)に行かねばなりませんでした。現在と違い、車もない時代です。葬儀の際には馬を走らせ、お寺の法要の際には弁当持参で参詣しなければならないほど、それはそれは不便を要するものでした。

昭和の頃の正覚寺本堂

青戸の人々は何とかしてこの地にも常駐する僧侶が置けないか考えます。そこで皆でお金を出し合い、中古の民家を購入し、それを改築して「青戸説教所」という名の出張所を建てたのでした。
ところが、出張所の完成を機に僧侶の派遣が叶うと信じていた矢先、お手次のお寺から「青戸への派遣はできない」との通知が来るのです。大きな希望は一転して絶望に変わります。納得できないと代表者が再三にわたり交渉しますが、議論は平行線をたどるばかり。そしてついに青戸の人々は転派を決意し、今までのお寺との関係を断つことになるのでした。
転派先に選ばれたのが真宗興正派でした。興正寺鹿児島別院は要請を受けてこれを了承。大正2年3月をもって青戸説教所は真宗興正派の説教所として認可を受け、ようやく僧侶の常駐するお寺として動き始めます。

したがって「歴史は大正2年から」というのは、厳密に言えば「真宗興正派として活動していく正覚寺の歴史」ということになります。

青戸の地にお寺がなかったこと、最寄りのお寺の参詣が不便だったこと、住民の協力により出張所ができたこと、最寄りのお寺からの僧侶派遣が断られたこと、興正寺鹿児島別院が事態を鑑みて受け入れてくれたこと…。
今、ここに真宗興正派正覚寺が存在しているのは、本当に人知の及ばない「縁のはたらき」によるものとしか言いようがありません。

今では本堂と庫裏のほか、納骨堂、門徒会館が建っています。昔の青戸の人々の熱い思いと歴代の御門徒の力によって正覚寺はここまで大きくなりました。
出張所のころの面影はもうありませんが、その「こころ」は今も引き継がれています。

歴史は100年、現住職で20代目

よその浄土真宗のお寺と正覚寺を比べるとき、1つ大きな違いがあります。

それは住職の代替わりの数。よそは大体3代目、4代目というのが相場なのに対して正覚寺は現在20代目。異様とも思える代替わりの速さに皆さんは驚かれるかもしれません。

しかしこれにはきちんと理由があります。「正覚寺は血縁で継職されてきたお寺ではないから」なんです。

一般的なお寺が、祖父→父→子、と世襲でもって継がれていくのに対し、正覚寺は「任期をもって法務にあたり、任期が切れたら次の者と交代する」という形で続いてきました。

これは、もともとここがお寺ではなく出張所だったことに起因しています。明治9年正覚寺が真宗興正派の認可を受けて寺院活動を始めたとき、人手不足ということで専属の住職はおりませんでした。そこで鹿児島興正寺別院より指名された担当者が交代で一定期間を条件に正覚寺に住む(=輪番制)という寺院運営を取ったのでした。また、その任期も人によって差があったそうで、10年勤めた方もいれば、半年という方もいたそうです。

そうして正覚寺を守り続けること約100年。現住職の代で輪番制は撤廃されましたが、数えると20代目となっていました。

いわば、よそのお寺が血縁によって継がれていく「血脈のお寺」ならば、正覚寺は浄土真宗の布教を旨として継がれてきた「法脈のお寺」です(もちろん両者に優劣はありません)。

ただ、血脈のお寺の場合、どうしても後継者問題というのが上がってきます。その点、こちらはそこまで重く考える必要はないと私自身は考えています(ここから先は長くなりますので別ページの「ヒロの夢」に譲ります)。

とどのつまり正覚寺は「法脈によって代々つながってきたお寺」ということです。