網代浜のかくれ念仏洞(あじろはまのかくれねんぶつどう)

DATE
住所鹿児島県鹿児島市平川町3443
駐車場なし
アクセス
面白さ
訪問日令和8年3月11日

アクセス

国道226号線上の「平川南」交差点を東に入り、すぐさま左折。

その後、約60m先にある丁字路(「平川駅」の看板が目印)で右折する。

洞窟までの道のり

数年前までこの先には飲食店と結婚式場があった。

しかしどちらも閉業(飲食店のほうは一応“休業”ということらしいが…)したことで、現在この道は完全に「人が通らない道」になっている。

坂を下りると休憩所やツリーハウスなど営業していた頃の名残が今も残る。

逆に言えば、店舗建設に伴い、この辺一帯は完全に開発されてしまったために禁制時代の雰囲気は微塵もない。

赤い橋を渡る。

丁字路の地点から1分43秒、目的地に到着。

穴が開いたこの岩々が念仏洞とのこと。

なお、岩の上は竹林が広がっていた。

構造と内部の様子

                ▲洞窟内を正面から見た図(番号は撮影位置)

壺のように縦に掘られた念仏洞。材質は石。

・穴の収容人数は2~4人(穴によって異なる)。

・各入口の位置は地面から0.7~0.8mの高さ。


一番左端の穴。

入口は幅0.8m、高さ0.9m(※ここでは‟入口底辺より上部”を高さと定義する。以下同)。

他の穴と比べると天井部分があまりない。

岩を削ったノミの跡。

跡が上まで続いていることから「天井は欠けて落ちたのではなく、元からなかった」と見るべきか。

奥行き1m、深さ0.4m(※ここでは‟入口底辺より下部”を深さと定義する。以下同)、広さは大人2人分(※座った状態を想定。以下同)程度。

実際に中に入ってみると、腰から下が隠れるだけで上半身は外から丸見えだった。

左から2番目の穴。1番目と同じ岩に掘られている。

入口は幅1.1m、高さ0.7m。

5つの穴の中で一番、入口の幅が広いのが特徴。

奥行き1m、深さ0.5m。

入口が広いだけあって中も当然広く、大人4人は余裕で入れそうである。

但し、深さ自体は先ほどとほぼ変わらないので、下半身しか隠れないのだが。

穴の右肩に彫られていた謎の文字。

梵字だろうか。

左から3番目の穴。

入口は幅1m、高さ0.6m。

他と比べて入口の位置が少し高い。

奥行き0.8m、深さ0.1m。

さすがに人は入れないので、ここはおそらく祭壇のような「台」として使われたのだろう。

左から4番目の穴。3番目と同じ岩に掘られている。

入口は幅1m、高さ0.4m。

高さはないが、5つの中で一番深い穴となっている。

奥行き0.7m、深さ0.9m。広さは大人2人分。

体を隠すことも十分可能な深さである。

サッカーボールは店が営業していた頃の子どもの忘れ物だろう。穴の形状からして誰もここが念仏洞だとは思わないだろうから、遊び場にされるのも無理はない。

左から5番目の穴。

入口は幅0.7m、高さ0.6m。

厳密に言うとこれは穴ではないのだが、横一列に並んでいるので、ここでは一応数に含めておくことにする。

ただ、これはこれで穴を作っていく過程が窺い知れる貴重な史料である。

洞窟正面の景色。

先述の通り、開発により一帯は切り開かれ、整備されているので昔の面影はなし。


洞窟周辺の様子

「海辺近くにある」という、かなり珍しいタイプの念仏洞である。念仏洞の上は竹林だが、念仏洞の正面も周囲の状況からして昔は森だったはずだから、その光は崖の高低差と上下の木々に遮られて地上(現在の道路の位置)からは見えなかったに違いない。

集落との距離は近いものの、穴の形状・大きさからして大人数向きではない。おそらく少人数で海に行くふりをして通っていた場所と思われる。

調査を終えて

「そもそもこれは念仏洞なのか?」というのが初見の私の感想である。念仏洞と聞くとやはり「横長」で、かつ「集団で参拝するもの」というイメージが強い。ところがここは「垂直」で、しかも「個室」。このような例は他に見たことがなく、現存する念仏洞の中でかなり異質な洞窟(そもそもこれを「洞窟」と定義していいのか迷うが…)なのである。

しかし伝承にはなるが、ここは念仏洞らしいということが『鹿児島市文化財基本調査報告書』(鹿児島市教育委員会 1988年)の中にきちんと記載されている。

海岸に面した網代浜に横90cm、奥行き70cm、深さ120cmの岩壁をくりぬいた穴が四つある。この穴も一向宗の隠れ穴と伝えられている。一つの穴に2名は入れる。この穴で仏像を拝んだり、経文を唱えたりしたものであろう。時には、小舟に乗り、 海に出て読経していたようである。

※補足しておくと、文中の「横90cm、奥行き70cm、深さ120cm」の穴は左から4番目の穴を指している。「四つ」とあるのは5番目が「くりぬいた穴」ではないからである。

話は変わるが、もう一つの特異点である「海の近くにある」ことにも言及しておきたい。

基本的に念仏洞というのは「山(森)」や「人家の近く」に作られる。なぜならそのほうが周囲に逃げやすく、隠れやすいからだ。これが海辺となるとそうはいかない。逃げ道が制限される上、隠れる場所もあまりない。つまり、山に比べて海は圧倒的に見つかりやすいのである。ゆえに海辺付近に念仏洞が作られることはまずなく(唯一、甑島の仏殿が海の断崖絶壁に存在しているが、あれは「船を使わなければ行けない場所」なのであって、この網代浜の念仏洞のように「陸地から誰もが通える場所」ではないので少し事情が異なる)海に近い地域のかくれ門徒たちは船に乗って沖に出て、海上で仏を拝し、念仏を称えていたのである。

ではどうしてこの地域ではわざわざ海辺に念仏洞を作ったのか。

私が推測するに、これは「船に乗れない人のため穴」だったのではないか。いくら沖のほうが陸地よりも安全とはいえ、すべての人が船を操縦できるわけではない。だがそれでは法縁に与れない者が現れてしまう。すなわち女性や子ども、高齢者等である。そんな彼らが念仏の教えに出遇える場として、この念仏洞が生まれたのではと私は考える尤も、この説については何も確証はないので、誤解しないように)

他と様式が異なることを理由に「これは念仏洞ではない」と決めつけるのは早計である。

むしろこれを認めることで、もっと広くかくれ念仏洞というものを捉え直すことができるといえよう。

謎の多い念仏洞であるが、もしかするとこれが今後のかくれ念仏研究に一石を投じる場所となるかもしれない。