
アクセス
国道1号線からバス停「孝の子」そばの脇道に入り、650m道なりに進む。
「孝ノ子かくれ念仏洞入口」と書かれた看板(小さく目立ちにくい)がある電柱の場所で右に曲がる。
洞窟までの道のり

曲がった先は1本の緩やかな畦道。
奥に見える杉林を目指して上っていく。

杉林付近は開けた丘となっており、朽ちかけた2つの説明看板(一つは由緒、一つは伝承)があった。
看板を読んで杉林の中へ。

杉林の前には標柱があるも、風化により文字は消え、何が書いてあったのかも分からない状態だった。
標柱や看板があるということは市の教育委員会の管理下にあるはずなのだが、忘れられているのかそれとも文化財登録から外されたのか、ずいぶん長いこと管理されていないようだ。

標柱からわずか数mで念仏洞に到着。
電柱からここまで1分51秒。
高さ3mほどの土手下に掘られた洞窟で、入口はかなり小さく作られている。

三角形の入口は幅0.7m、高さ0.5m。
狭小でしかも地面すれすれにあるため、腹ばいにならなければ中に入ることができない。
構造と内部の様子

・土を掘って作った水平方向の洞窟(正確には手前よりも奥の部屋が一段低い)。
・高さは手前の部屋で0.6m。奥の部屋で2.2m。大きさも奥のほうが広く、ひょうたん型になっている。
・奥の部屋には灯明跡と祭壇跡の2つの窪みが壁に掘られている。

①
洞窟内部から見た外の様子。
入口を小さく、そしてなるべく低い位置に設けているのは外への光漏れ軽減が目的であるが、その効果をさらに高めるため、外の地面よりも内部の地面が低く掘り下げられている。

②
手前の部屋は幅2.8m、奥行き1.3m。
広さ的には大人5~6人が座れそうだが、高さが0.6mと天井が低く、息苦しさは否めない。
右辺の壁に特徴はなし。

③
左辺。
こちらも同じく壁や床に特徴はなし。
この部屋は外の気配をいち早く察知し、奥の部屋へ伝えるための「監視部屋」だったのかもしれない。

④
奥の部屋へと続く通路。
幅0.8m、高さ0.9m、長さ1.1m。

⑤
通路を抜けてから振り返って撮影。
通路は下降しており、手前の部屋よりもここは低いことが分かる。ここまで地面が下がると、外の地面はかすかにしか見えない。
連結式の洞窟において部屋間で高低差があるのは現存する中でここだけである。

⑥
奥の部屋の全景。幅2m、奥行き2.4m。
手前の部屋とは違い、余裕で直立することができ、広さも大人7~8人が座れるほどある。
天井の崩落により地面の土塊が顕著だが、壁は無傷であり、念仏洞全体の状態としては良好といえよう。

⑦
通路からほぼ真正面に位置する祭壇跡。
幅0.6m、高さ0.3m、奥行き0.3m。
祭壇跡には蝋燭立てが残されていた。素材が真鍮(錆びて青くなっている)であるため、これは後世のものである可能性が高い。

⑧
灯明跡。
幅0.3m、高さ0.2m、奥行き0.2。
煤の跡までしっかり残っている。

⑨
灯明跡と通路の位置関係。
光が直接見えないように、あえて通路の死角となる場所に設けられている。

⑩
天井部。
崩落で木の根が剥き出しになっている。
つまり崩落前の当時は今よりも天井が低かった(2mくらいと予想)ということになる。

入口前方は土手に挟まれた林道となっている(※標柱があるのは写真手前側)。
緊急時の際はここから奥へと逃げたのだろう。

入口の真正面は高さ2mほどの土手になっている。
この土手が洞窟の正面にあることで、最初の丘の場所からは入口が見えないようになっている。

丘側から見た景色。
何も知らない者なら、この土手の向こうに念仏洞があるなんてことは想像もできないだろう。
周辺の様子
山(名称不明、標高314m)を背にする形で、民家裏の丘の上に念仏洞はある。一応、「林の中」ということにはなるが、土手を挟んですぐ目の前には畑や民家があるため、「林の端」という表現のほうが近いかもしれない。
すぐ目の前に民家があり、空から俯瞰してみても周囲は住宅密集地であることから、地理的な意味では‟行きやすい”念仏洞であったことが伺える。
調査を終えて
孝の子の念仏洞については『小林市の伝説 民話』(小林市教育委員会 2001年)の記述が最も詳しい。
言い伝えによると、孝の子地区の南東に位置する下の迫に、釈迦谷という所があって、その谷にお寺があったと伝えられ、廃佛毀釈の時に無くなってしまったととのことです。瀬戸ノ岡という字(あざ)が孝の子にありますが、山深くその斜面に人工の穴を掘って、その奥に5~6人が入れるくらいの丸い穴を掘り、その奥に入り口を再び狭くして作り、10人位の人が入れるよう若干広い間を作ったとのことです。しかも、総体的な穴の形が、水平を基準に15度程度下向きに傾斜をとり、掘り進んでいるのが特徴で、外から簡単に仏壇の灯りが見えないように工夫がされていたそうです。なお、入り口近くは小さな丘を人工的に施し、外から発見されないようにしてあり、「かくれ念仏」の意を尽くした様子といえるでしょう。
注目すべき点は文中の「総体的な穴の形が、水平を基準に15度程度下向きに傾斜をとり、掘り進んでいる」、「入り口近くは小さな丘を人工的に施し、外から発見されないようにしてあり」の2ヵ所である。
「傾斜のある念仏洞」というのはたくさんある。しかしそれらのほとんどは入口部分に傾斜が付いているのであって、孝の子のように総体的に傾いているわけではない。一部、「中山田」(南九州市川辺町)や「永久井野」(小林市)では確かに洞窟内部に傾斜があるが、中山田の場合は上向きだし、永久井野の場合は(天然窟のため)下向きに傾けざるを得なかったという種類のものであるから、意図して下向きに傾斜が設けられているのはこの孝の子をおいて他にないのである(ちなみに同書に掲載されている上の断面図は水平を基準に約30度も傾いているので少し表現が過剰である。実際は‟わずかに地面が下がる”程度である)。
2点目の「人工的に施し」というのは意外な事実だった。てっきり林道を造るため山裾と水平方向に土を削ったことで、結果として2つの土手となった(=林道が主で土手は副産物)と思っていたが実はそうではなく、土手を目的に造ったことで林道ができた(=土手が主で林道は副産物)のだという。さらに土手の上に杉を植樹することで、あたかも初めからそこに土手が存在していたかのように見せているのである。これはものすごい創意工夫である。
灯明の位置を入口の死角に置き、連なる前後の部屋は下降して掘り進み、入口はなるべく小さく作る。加えて洞窟の場所が外から悟られぬよう入口正面には土手を人工的に盛り、成長速度の速い杉の木を植えることで土手の境界線をぼやかす―。その背景にあるのは上にも書いたとおり「地理的な意味では‟行きやすい”念仏洞」だからなのかもしれない。地理的に行きやすいということはそれすなわち役人に見つかりやすいということでもある。だからこそ何重にも用心をしてこのような洞窟になったと私は想像する。
同市の「永久井野」とは違い、ここはほとんど世に知られていない場所である。
ただ現状、維持・管理がされていないようであるから、あまり知られないほうがいいようにも思う。
役目を終え、今はただ静かにその余生を送っている孝の子の念仏洞である。

