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住所 | 鹿児島県指宿市岩本303 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和4年1月26日 |
アクセス
国道226号線から山元鮮魚店向かいの細道に入り、道の分岐で左折。そのまま200mほど進むと左手に今和泉岩本のかくれ念仏の看板が現れる。
※かなり道が狭いので、車で行く際は注意が必要
洞窟までの道のり
看板横の階段を上る。
民家(現在は空き家)の裏へと回る。
民家裏へ回るとすぐに洞窟が現れる。
看板の所から歩いて1分で念仏洞に到着。
高さ4.6mの崖の下に掘られており、向こう側が見える「トンネル型」の洞窟である。
このような形の念仏洞は他に例がなく、大変珍しい。
入口。幅1.9m、高さ1.8mとかなり大きい。
ここまで入口が大きいと、逆に「本当にかくれ念仏なのか」という疑問すら抱いてしまう。
構造と内部の様子
・シラスを掘って作った横穴式の洞窟。
・洞窟内の高さは2.2m。直線状の通路の側面に人が入れる2つの小部屋(C・D)がある。
・出口付近に一ヶ所、灯明用の穴がある。
▲洞窟内を上から見た図
(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
①
内部から外へ向かって撮影。
若干の傾斜はあるものの、他の念仏洞と比べるとそれほど入口部分が高いわけではない。
②
内部の全景。
直線状に入口と出口が並ぶため、風の通りが良い。
改めて考えてみると、このトンネル工事は一大事業であったはずである。それにも関わらず役人の目を盗んでここまで大きく目立つものが造れるものだろうか。
③
左壁面、一つ目の横穴(構造図A)。
幅1.4m、高さ0.9m、奥行き1mの窪みで、製作途中だったのか、それとも仏具を隠すためのものだったのか判断しかねる。形状と位置からして燈明用ではないだろう。
④
右壁面、一つ目の横穴(構造図B)。幅1.2m、高さ1.5m、奥行き0.3m
大きさから推測するに、もしかするとこちらはこれから掘る予定の横穴だったのだろうか。
奥行きがあまりにもなさすぎるので、雀ヶ宮の念仏洞のような疑似穴という線は考えにくい。
⑤
右壁面、二つ目の横穴(構造図C)。幅1m、高さ1.2m、奥行き2.8m。
形は蒲鉾のような中高・弓なり型で、奥まで幅も高さも一定。
奥には仏壇が見える。
⑥
C最奥部。
古い仏壇と簡単な祭壇が設けられていた。
壁に目立った特徴はなし。
当時はここが礼拝場所(説法洞窟)だったのだろうか。
⑦
Cのちょうど正面にDの入口。 仮にCを礼拝場所とするなら、Dは読経場所(修行洞窟)と見るべきか。
⑧
左壁面、二つ目の横穴(構造図D)。幅1.1m、高さ1.3m、奥行き3.7m。
幅と高さ、そして穴の形状はCとほぼ同じ。
ここから見る限り、奥には何もない模様。
⑨
Dの最奥部。不思議なことにここだけ天井が少し高い。(高さ1.5m)。
余談だが、訪問したこの日、天井にはゲジゲジの集団がびっしり張り付いていた。季節柄、暖を取っていたのだろうが、不意打ちの登場に肝を冷やした。
⑩
洞窟の出口付近。
こちらは最初の入口と違い、平坦である。
⑪
出口付近にある窪みは幅0.5m、高さ0.4m、奥行き0.8m。
位置からして蝋燭を置くための穴で間違いない。
奥行きが相当あるが、これは構造上、風の通りが良すぎるので、火が消えるのを防ぐためだったと思われる。
洞窟反対側の全景。見た目は表側と大きく変わらない。
ちなみにこちらの出口の大きさは幅1.8m、高さ1.7mで、これまた表側とほぼ同じである。
洞窟を抜けた先には木の間を縫うようにして道がさらに続いていたので、とりあえず前進することに。
洞窟から50mほどの突き当りにあったのはため池だった。
隅の穴から絶えず水が流れ出ており、水の透明度は高い。
どうやらここは湧き水の貯水池のようだ。
洞窟周辺の様子
「民家の裏にある念仏洞」で、かつ「奥には水源を持つ林」というと、一見「薄暗い場所」のように聞こえるが、実際は「視界も良好な明るい場所」である。
とは言えこれは現在の姿であって当時はもっと木々に隠れた場所だったのかもしれない。
一般に念仏洞は小さく目立たないように作るのが通例で、ましてそれが生活圏内ならなおさらなのだが、ここは規模も大きく隠す気配が一切見られない。そういう意味ではかなり特異な念仏洞である。
調査を終えて
岩本のかくれ念仏洞について光泉寺(指宿市岩本)の住職より話を伺った。
住職によれば、この場所は取り締まりの役人も既知の「公の道」だったという。
洞窟先で見た湧き水は当時の水汲み場だったそうだ。人々は「水を汲みに行く」と役人に伝え、水汲み場へ向かうのだが、実は「水を汲みに行く」は念仏者たちの間では「念仏洞へお参りに行く」の隠語として使われていたという。水汲み場へ行くために必ず通る念仏洞で秘かに念仏を称え、それが終わると水を汲み、堂々と監視の目をかいくぐってきたのだそうだ。
つまり「場所」を隠さずに「行動」を隠すという大胆ながら巧妙な方法で信仰が行われていたのである。通常は物理的工夫によって念仏洞の存在を隠すものだが、ここ「岩本のかくれ念仏洞」は「隠す」ことの裏をかき、あえて隠さずに言葉による心理的工夫で念仏洞の存在を隠したのである。見事というほかない。
ちなみにこれも住職に教えて頂いたのだが、念仏洞の場所から道なりに400m、集合墓地がある場所の近くに「佛さま」の石碑がある。念仏禁制時代、この場所で仏像・仏具等が焼却されていたとのこと。お参りに来られる方がいるらしく、今でも石碑の前の花瓶には花が手向けられていた。