下岩戸のかくれ念仏洞(しもいわとのかくれねんぶつどう)

DATE
住所鹿児島県薩摩川内市樋脇町倉野2408
駐車場なし
アクセス
面白さ
虫の多さ
訪問日令和5年11月7日

アクセス

県道346号線上、JA北さつま樋脇支所倉野いちご集荷場手前にある市比野温泉の黄色い看板が目印(写真上)。

右折すると突き当りに標柱。ここでさらに右折する。

洞窟までの道のり

次に見えてくる三叉路は直進。

民家横に二つ目の標柱。

ここがスタート地点である。

めったに人が入らないと見え、道はかなり荒れている。倒木も多いが、クモの巣のほうがたくさんあるので、注意しながら進む。

中盤から丈の高い草が目立ってくる。

道の左手には川(ほとんど水はない)があるので、この川をたよりに川上へと向かっていく。

三つ目の標柱。
ここから先は完全に道がない。

帰り道が分からなくなる可能性があるので、ここから先はこの標柱の場所を常に頭に意識しておくこと。

標柱についている「下岩戸のかくれ念仏50m」の矢印の方角へ“その通り”に進むと念仏洞への道が見えてくる。ここまで来たらもう安心してよい。

方向を誤ると軽い迷子になる。現に私は20分ほど森の中を彷徨う羽目になった。

目的地を示す最後の標柱と共に、大きく前へ突き出した巨岩が見えてきた。

苦労したかいあって、安堵と喜びが大きい。

二つ目の標柱から歩くこと25分(迷子の時間を除く)。目的地へと到着。

幅40m、高さ15mはある石灰岩の巨岩である。
入口は巨岩がぽっかりと口を開けたように見える。

入口は幅3m、高さ1.5mとかなり大きい。


高さを水平にするため、向かって左側部分は川から集めてきたのか厚みのない平たい石が幾重にも重ねられ、床が作られていた。

構造と内部の様子

          ▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)


洞窟内部から外に向けて入口部を撮影。
入口が地上より高く、なおかつ入口と内部が一続きとなっているため、大パノラマで外が見える(逆に言えば、外からも中がよく見える)。


かくれ念仏洞なのに隠れていない、というのは他に類を見ない構造である。

洞窟内左側最奥部。敷石により床は水平になっている。

壁は人の手で掘った跡あり。

洞窟内右側。一段目の端に仏像(後述)、15cmほど高さが上がり二段目と三段目続く。


広さでいうと三段目が最も狭い。当時はここが上座で、仏像なり指導者なりが鎮座していたのだろうか。

仏像(らしきもの)。

高さ30cm。木ではなく石を彫って作られている。詳細は不明。
眉を下げ、口をへの字にした表情は厳しい弾圧に耐え忍ぶ当時の念仏者のようにもみえる。

仏像を横から見た姿。

倒れないように周囲の石で固定されている。

なお、仏像の目線はまっすぐ森へと向けられている。

 


洞窟の前方は静寂な杉林が広がる。
あまりの静けさに大自然の中にぽつんと一人取り残されたような気分になる。

 

周囲を散策していると、古い石垣を数カ所見つける。
つまり、ここはかつて人の生活があったということである。畑があったのか、それとも住居があったのか…。

 

洞窟周辺の様子

洞窟は小毛野岡(標高163m)という低い山の山中にあって、周囲は森が広がっている。
しかしながら、暗いというわけではなく、日が十分に差し込む明るい雰囲気の立地である。

ちなみに、近隣の集落との距離は800mほど。

調査を終えて

到着時は正面の洞窟にばかり目が向いてしまって見落としていたが、立ち去る際に洞窟前の標柱の側面に説明書きがあることに気が付いた。そこには「(前略)、付近の三件のみが信仰していた仏像があったと伝えられています」とあった。
先の仏像が記述にある仏像かどうかは別として、付近に三件家があったという点に石垣との関連がはっきりし、合点がいった。

大抵は「講」と呼ばれる念仏者による信仰共同体が形成され、「講」単位で念仏洞へ参じるものだが、三件のみの信仰というのは珍しい。よほどこの三件が集落の中心部から離れていたということだろうか。

ここの面白い特徴として「内部が地面よりも高い位置にある念仏洞」ということも挙げられよう。

「入口が地面より高い」念仏洞はいくつもあるが、「内部も同じ高さ」でしかも「入口との境界がない」というのはここだけである。
それはつまり「外から丸見え」ということだが、それで存続していたということは即ち、監視の目がこの辺りには届いていなかったことを意味している。

下岩戸のかくれ念仏洞は信仰形態も内部構造も他とは異なる異色な場所であった。