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住所 | 鹿児島県日置市伊集院町桑畑553 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和5年3月3日 |
アクセス
国道3号線上、伊集院北中学校から700m西の交差点を北へ右折。
そこから200mほど進むと、土手の上にある民家が見えてくる。
「桑畑のかくれ念仏」は個人の敷地内にある念仏洞なので、必ず住人の許可を得てから入ってください。
洞窟までの道のり
民家横の畑をまっすぐに進む。
畑の先にある小さな坂を上がる。
畑より一段上がると、開けた場所に出る。
手前に倒壊した住居跡。奥の土手には穴が見える。
構造と内部の様子
・シラスを掘って作った横穴式の洞窟。
・内部の高さは2.1m。小部屋や脇道等はなく、一直線の構造。
・右側の壁に一カ所、仏壇が安置されていたと思われる窪みがある。
▲洞窟内を上から見た図
(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
①
Aの内部。奥行きは2.3mと浅い。
瓦の下も探してみたが何もなく、ここで行き止まりのようである。
「雀ヶ宮の念仏洞」のような擬装洞窟の類だろうか。
ただ、奥に一つ(赤丸部分)、壁に一つ灯明用の窪みがあることから、何らかの用途があったのかもしれない。
②
壁側の窪み。
③
移動してBの内部より。
入口の先はなだらかな下り坂で1.2mほどの高低差。
つまり内部は地上とほぼ同じ高さということである。
よって、水平に洞窟を掘ったのち、盛り土をして入口を高くしたものと思われる。
④
Bの全景。
天井に角のある卵型の洞窟で、奥までまっすぐである。
なお、右の壁には壺が並べられているが、これはおそらく現在の家主がこの洞窟を保管庫として利用しているのだろう。
⑤
洞窟の中間地点。
Aよりも奥行きはあるのに、何故か灯明用の穴は一つも見当たらない。
⑥
一カ所だけ壁に掘られた窪みは幅0.8m、高さ1.3m、奥行き0.2m。
さらにその中央は幅0.15m、高さ0.87m、奥行0.03mの長細い窪みがある。
仏像か掛け軸のいずれかが収まっていた跡に見える。
⑦
最奥部。
壁には蝋燭跡も祭壇跡も見られないが、どういうわけか地面がここだけ0.5mほど低い。
洞窟周辺の様子
野田川を中心に田畑が広がる桑畑地区は家々が一カ所にまとまっており、近隣住民との結びつきも強かったであろう地域である。
そのような状況下で、比較的規模の大きな念仏洞が家の裏手に作られているということは この家が講(=念仏者の集まり)の中心的場所だったのかもしれない。
調査を終えて
調査後、家主にお話を伺うことができたので、知りえた情報を何点か書いておく。
・洞窟前の倒壊した家屋は氏の実家跡で、以前は実母が住んでいた場所だった。
・入口部分が高いのは初めからではなく、土砂崩れによるもの。
・その家の裏にあった念仏洞は氏が子どもの時にはもう信仰場所としては機能しておらず、戦時中、あるいは台風時に
おける家族、並びに家財道具の一時避難場所として利用していた。
結局この洞窟が「信仰に使われていた洞窟」か「仏具の隠し場所としての洞窟」かはっきりしたことは分からなかった。
しかしながら、10m以上の奥行きがあることから考えると、「信仰場所」と見るほうが自然であろう。Aを「隠し場所」に、Bを「信仰場所」に割り当てていたのかもしれない。
ちなみに『伊集院の文化財』によると、この桑畑地区にはもう一つ念仏洞があったという。
こちらも家の裏手に作られていたらしいが、すでに埋没してしまったとのこと。
ただ、その家には当時使われていたと伝えられる小型の銅鏡(仏像が焼き付けられている)が現在も大切に保存されているそうだ。
ここから分かることは、桑畑地区では間違いなくかくれ念仏信仰があったということ、そして熱心な真宗門徒が多かったということである。
構造自体に目立った特徴はないものの、「桑畑のかくれ念仏洞」はこの地域の強い信仰の証を後世に伝える貴重な洞窟である。