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住所 | 鹿児島県日置市東市来町長里5309 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和3年5月4日 |
アクセス
県道305号線上にある中園精米所の交差点から北上。
道の分岐にある矢印看板をたよりに進んでいくと、一軒の民家に行きつく。
塀に塗られた黄色いペンキ(上写真)が目印。
洞窟までの道のり
念仏洞は住宅の正面を通り過ぎた先にある。
ペンキが塗られた塀の位置からすでに入口は見えており、まっすぐ進むだけ。
念仏洞は私有地内にあるため、在宅の場合は家主に一言断ってから入るようにしてください。
道路から31秒で到着。
崖の斜面に掘られた念仏洞。崖の高さは5mほど。
現在は遠くからでも入口の場所を視認できるほど開けた場所となっているが、当時は周囲が密林だったか、あるいは洞窟正面に家屋が建っていたと推測される。
洞窟の入口部分は地上より若干高め。
入口は幅1.5m、高さ1m。
入ってすぐ右に直角に曲がる造りとなっている。
構造と内部の様子
▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
・シラスを掘って作った横穴式の洞窟。
・直角に二段階曲がるクランク構造。
・部屋の天井には2ヵ所の空気穴。その水平方向に2ヵ所の灯明跡がある。
①
内部から外を撮影。
入口と高低差があると述べたが、その差は微々たるもので、ほぼ水平に近い。
よって高低差による光漏れ対策の効果は低いため、当時は洞窟正面に家屋等の遮蔽物があったと見るほうが妥当であろう。
②
奥へと続く通路は幅2m、長さ5.8m、高さ1.6m。
通路にしてはずいぶんと幅が広い。
ちなみに、この「通路を直角に曲げる」という構造を持つものは、他に朝倉の念仏洞(鹿屋市)がある。
但し、ここは二段階なのに対し、朝倉は三段階に曲げられている。
③
第2の入口は幅0.67m、高さ1.3m。入口は細く、一人ずつしか入れないようになっている。
もしかすると平常時はここを土で塗り固めるなどして、奥の部屋の存在を隠していたのかもしれない。
④
最奥部の部屋。幅2.2m、高さ(最大)1.7m、奥行き4.3m。広さは大人20人が座れる程度。
他の洞窟には見られない特徴として、洞内の天井部が尖っており「五角形」に近い形となっている。
⑤
最奥部の祭壇跡。幅1.4m、高さ0.9m、奥行き0.35m。
壁の中央部の四角い窪み(幅0.56m、高さ0.9m)は本尊を掛けていた跡にほぼ間違いない。
ここまで大きく、そして保存状態も良い祭壇跡というのはここをおいて他になく、極めて珍しいといえよう。
⑥
別角度から撮った祭壇の様子。
幅も奥行きも十分にあることから、蝋燭立てのほかに、香炉や花瓶も当時は置かれていたのかもしれない。
⑦
空気穴は天井に2ヵ所、第2の入口と祭壇を結ぶ直線上にある。
祭壇に近いほうをA、入口に近いほうをBとすると、祭壇からAまでの距離は1.6m、AからBまでの距離は1.2mとなっている。
⑧
祭壇向かって右の壁には2カ所の灯明用の窪み。
写真の窪みは幅0.26m、高さ0.21m、奥行き0.15m。
部屋のちょうど真ん中に位置していることから、部屋全体を照らすためのものか。
⑨
部屋の側から見た第2の入口。
そのすぐそばには2つ目の灯明跡(赤丸部分)。
狭い入口に気を付けるための配慮と考えられる。
洞窟周辺の様子
住宅の敷地内ということもあって、洞窟は家々に囲まれた集落のほぼ中心部に位置している。
さらに集落の周りは小高い山に囲まれていることから、山間の小さな集落で営まれてきたかくれ念仏だったことが伺える。
ここが比較的大きめの念仏洞であるのも「山間」という役人の目の届きにくい地の利を生かした結果なのかもしれない。
調査を終えて
念仏洞の周辺を散策していたところ、念仏洞によく似た穴を複数見つける(下写真)。その多くは念仏洞と比べて入口が大きく、U字型で、小部屋や間道等のないシンプルなトンネルの構造となっていた。(現在、その中はゴミやガラクタが投げ込まれている)。もしやこれも念仏洞跡なのかと思い、たまたま付近を歩いていた地域の古老に尋ねてみたところ、これは防空壕跡との話だった。入口が大きく作られていたのは、緊急時にどちらからでも逃げ込みやすいようにということだった。
長里の念仏洞が戦時中に防空壕として使われていたのかは資料がないため定かではない。しかし仮に防空壕として使われていたのだとしても、念仏洞は“そのままの状態で使われていた”ことは確かである。もしも拡張工事等が施されていたならば、日置市の指定有形文化財になることはないからである。つまり「市の指定有形文化財である」という事実こそ、長里の念仏洞がこの地域の人にとって大切な場所であったということの証明なのである。
天井に空気穴がある念仏洞は「立山のかくれがま」(南九州市知覧町)と「都迫かくれ念仏洞」(鹿児島市本名町)と、ここの3カ所で確認しているが、空気穴をわざわざ作るということは
①部屋に空気(酸素)が入ってきにくいから
②部屋に人がたくさん入るから
のどちらかの理由になろう。長里の念仏洞の場合、部屋の広さも十分で空気の対流もあることから、②の理由で空気穴が設置されたのだろうと思う。
この推測を、かつてこの地域に熱心な真宗門徒が多かったことの証拠にするのはいささか乱暴かもしれないが、あの大きな祭壇跡を見るとどうしてもそう思わずにはいられないのである。
小さな集落の中にある念仏洞には、大きな信仰心が育てられていたのであった。