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| 住所 | 鹿児島県日置市日吉町日置3393 |
| 駐車場 | なし |
| アクセス | |
| 面白さ | |
| 虫 | |
| 訪問日 | 令和7年12月9日 |

アクセス
真宗本願寺派明信寺の納骨堂前から県道37号線を20m南下。
上の写真のピンの位置から西に向かって見える擁壁上部が該当場所。
洞窟までの道のり

擁壁工事により現在は影も形もない。
これ以上はどうしようもないので、これにて調査終了。
構造と内部の様子

・詳細不明
洞窟周辺の様子
念仏洞があったこの山は水天山(してんやま)という。
擁壁が断崖絶壁となっていることから、擁壁前に建っている住宅地はかつて水天山の裾野であったことは明らかで、県道37号線を中心とする道路の発展に伴い、住宅が次々に立ち並び、水天山も切り開かれて現在のような姿となったことが分かる。
また、この一帯は田畑を中心に集落が形成されていることから、現在ほどではないにせよ、当時も念仏洞のすぐ近くにはある程度まとまった住宅があったと推測される。そのため、この念仏洞は地域に人々にとって「身近な場所」だったといえよう。
調査を終えて
『日吉町郷土誌』(日吉町郷土誌編さん委員会 1988年)には念仏洞の場所と併せて水天山のシテンドンについて書かれていたので、とりあえず記載の通りに歩いてみた。
寺ノ下から明信寺の南側を榎園集落へ上がる坂を榎園坂又はお寺坂という。お寺坂というのは無論明信寺ができてからの呼称である。(中略)
お寺坂をもう少しで上がり終わろうとする所から左に折れて逆に東南に向かって丘の上に進む坂道がある。坂は人一人やっと通れるくらいの狭くて急な山道であったが、今は地主(上松家) 不在で夏草や雑木が生い茂り、とても通れる道ではない。この坂を昔から「シテンドンの坂」と呼んでいる。シテンドンとは水天殿がなまったものであろう。あるいは小さな御堂があり、水天堂といっていたのがシテンドンになったとも考えられる。昔は御堂があり、それが台風にやられて今のような石塔だけにしたのかもしれない、高台だけに台風の当たりははげしい所である。
このシテンドンの坂を上がりきると、平坦な地となり急に視界が開ける。台地全体がシラス崖の丘で東端に水天宮を祭ってあるので水天山といったのだろう。すばらしく見晴らしのよい所で、かくれ念仏の場としては見張りのきくかっこうの場であったと思われる。かくれ念仏の御座が開かれた穴は、頂上より少し下がった所に東向きに入り口があり、少し勾配があって中に入ると広々としていた(八畳敷き程度)というが、昭和四十八年の治山工事の際建設業者の手により完全に埋め尽くし、表面はコンクリートで固めた擁壁となり、かくれ念仏の最も由緒ある遺跡が跡形もなく消え去ってしまった。誠に惜しいことであった。
なお、ここの法座で拝まれた阿弥陀仏のお絵像は榎園部落の前畑初枝宅(旧姓野元)に今も大切に奉安されているが、前畑初枝の曾祖母の話として、「法座がひそかに開かれる度にこの仏様(お絵像)を奉持し、洞穴の正面にかかげて拝み、座が終わるとまたひそかに持ち帰っていた」と語り伝えられている。






「頂上より少し下がった所に東向きに入り口」とあることから、水天殿の石塔があるフェンス側から入口があったと思われる西側(擁壁方向)の下方に向けて撮影した。
眼下に見える道路から頂上までの高さはおよそ30mほど。絶壁というのもあるが、実際に立ってみるとそこそこの高さを感じた。
念仏洞へ行くルートはやはりシテンドンの坂から石塔の場所へと進み、そこから下に降りていったものと考えられる。

なお『日吉町郷土史 史跡編』(鹿児島県日吉町役場 1973年)にも、この念仏洞についての記載がある。
水天宮の大穴は入口が極く小さく、内部は十畳敷に余る大穴で、この穴にこもって秘かに仏様をおがんだという。今はほとんど崩れ落ちている。念仏洞の上の祠の灯ろうに貞享二年(一六八五年)六月、施主二世年興所とあるが、或いは穴と関係のあるものではなかろうか。
上の『日吉町郷土誌』と広さが少し異なるが、これは誤差の範囲だろう。それよりも注目すべきは「今はほとんど崩れ落ちている」という当時の姿が記載されている点である。奇しくも『日吉町郷土史 史跡編』が発行された1973年は治山工事は行われた年でもある。もしかすると洞窟が保存されなかった理由は、その崩れ落ちた姿から‟残すほどでもなかった”というのが実状なのかもしれない。
現在、念仏洞があった場所の隣には明信寺が建っている。その創建は明治11年だという(説教所として始まり、明治16年に寺号公称、明治17年に本堂完成。ちなみにこれは明治9年の真宗解禁後、県内で2番目の真宗寺院とのこと)。
ここに真宗寺院が建立されたことはこの地に住む人々にとってどれほどの喜びだったろうか。
これからもここで念仏の声が響き続けることを切に願うばかりである。
