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住所 | 鹿児島県鹿児島市五ヶ別府町779-2 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和3年9月16日 |
アクセス
笠木公民館より南へ600m。バス停「三重野観音」付近。
コンクリート塀に挟まれた階段が入口。
洞窟までの道のり
ただ階段を上るだけ。
途中に説明看板あり。
階段を上り始めて23秒で到着。
巨木の下にある窪みが今回の目的地。
窪みは幅0.9m、高さ2.2m、奥行き1.2m。
奥行きは意外と深い。
人の手によって掘り広げた跡があるので、元は現在のような大きな穴だったのではなかったのだろう。
構造と内部の様子
▲洞窟内を正面から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
・木の根元に穴が開いているように見えるが、穴が開いているのは根元のさらに下にある“岩”。 それを包み込むようにして木が生えている。
・穴の奥に掘ってあるのは阿弥陀仏ではなく観音菩薩。
①
穴の手前にはきちんとした祭壇が設けられていた。
ゴミもなく、きれいに整頓されている様子から見るに、地域の方々によって定期的に清掃がなされているようである。
②
岩に彫られた観音像。舟形光背の立像で高さは0.5m。
胸の位置にある手は印を結んでいるのか、合掌しているのか、風化がひどくて判別できない。
③
顔の近影。苔むしていて表情も分からない。
④
穴の上部。観音像のほかに彫られているものはないか、すみずみまで探したが、残念ながら何も発見できなかった。
⑤
岩の上に生えているのはクスノキ。その根はがっしりと岩をつかみ、太い幹が天に向かって真っすぐに伸びている。この圧巻なる佇まいは悠久の年月の証である。
洞窟周辺の様子
観音像がある場所は森の中には違いないが、写真を見ても分かるように森の端っこ(=畑との境界線)に位置している。また、集落も近い。従って「人里離れた山深い場所」という印象はない。
ほんの数十メートル先には山之田川が流れ、田園が広がっていることからしても、「生活圏内にあるかくれ念仏」だったようである。
調査を終えて
浄土真宗は阿弥陀一仏を礼拝対象とする教義である。だから観音菩薩を拝むというのは少し引っかかる点だ。
実際、説明看板にも「(かくれ念仏の跡の一つと)伝えられている」と表記があり、確実な信仰場所であったとは明言されていない。
だが、もし仮にかくれ念仏関連の史跡でなかったとしても、ここが観音信仰という信仰の場であったことは事実であり、今なお大切に守り続けられていることは岩の前にあった祭壇の状態からして明らかである。
観音像の前方には若干の木々が並んでいるものの、その先には田畑がある。つまり観音像の眼下に人間の生活があるのである。
観音像に日々見守られていることを思いながら、当時の信者達は鍬をふるっていたのだろうと想像する。
(後日談)
『谷山市史』に興味深い一文を見つけたので掲載しておく。
五か別府町三重野の洞窟
蔵野光盛氏の案内でその場所を調査した。三重野の伽藍山に続くシラス台地の西側にある。現在はなかば土砂に埋まってそのおもかげはわずかしか認められないが、洞窟の入口は狭くようやくはいれるほどのものであったらしいが、中はそうとう広く近年までは青少年たちが柔道のけいこなどしていたという。
上の文章を見るに、三重野には今回訪れた観音像とは別に「念仏洞」も存在しているようである。
ただし、伽藍山という山がどこにあるのかは不明。詳しいことが分かり次第、追記したい。