雀ヶ宮のかくれ念仏洞(すずめがみやのかくれねんぶつどう)

DATE
住所鹿児島県鹿児島市吉野町9360-2
駐車場あり(2台)
アクセス
面白さ
虫の多さ
訪問日令和3年11月13日

アクセス

県道16号線を北上し、リフォーム店「リビングプラザ滝の神」の先にある信号で右折。

次の信号でさらに右折するとすぐに「雀ヶ宮のかくれ念仏洞穴」と書かれた説明看板(上写真)が現れる。

洞窟までの道のり

看板横の小道はなだらかな上り坂。

足元の階段は地域の有志の方々の手によるもので、大変歩きやすい。

階段を50mほど登りきると目的地が見えてくる。


現在、洞窟の前は広い空き地となっているが、かつては竹林に覆われた場所であったそうだ。

雀ヶ宮の念仏洞。歩き始めて40秒で到着。

高さ10mのシラスの斜面下に大きな穴が二つ並ぶ。

先に右側の穴(以下Aとする)から。

遠目では分からなかったが、近づいてみると奥行きのほとんどない洞窟だった。
入口の大きさは幅2.2m、高さ1.6m。

続いて左側の穴(以下Bとする)。

こちらはAよりも奥行きがある。
入口の大きさは幅2m、高さ1.4m。
入口自体は見た目も大きさもAに近い。

構造と内部の様子

          ▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)


Aの洞窟内部から入口を撮影。
3つすべての洞窟に共通することだが、いずれも入口の位置を高くしてある。


Aの奥行きは3mしかないが、目の錯覚を利用して遠くからは長い洞窟のように見せている。

壁面の様子。魚の鱗のようなノミの跡が非常に美しい。
これだけでも大変な作業だったことが分かる。

Bの入口部。
竹は見えるが、地上(地面)は見えない。

入口が高いのは内部の光漏れを少しでも軽減させる念仏洞ならではの工夫である。

B最奥部。高さ1.7m、入口からの距離は7.8m。
右には間道がある。


洞窟を訪れる人のためにランタンが置いてあった。

筍のミイラ。
この辺り一帯が竹林のため地面から生えてきたのだろうが、光が当たらないせいで成長むなしく枯れてしまったようだ。
中身はすでになく、皮だけになっていた。

Cの洞窟へと続く間道。幅0.8m、高さ1.5m。全長16.3m。幅が狭いのは取り締まりが一気になだれ込まないようにするための工夫だろう。

地面も平坦ではなく途中で盛り上がっており、通路自体もまっすぐではなく湾曲した造りになっている。

 

実際に間道を歩いてみた。
壁にも天井にも大量のゲジゲジ。
落ちてくる恐怖と闘いながらゆっくり進む。

壁には蝋燭を乗せるための窪みが全部で11あった。

(丸の箇所が蝋燭台の跡)

 

間道を抜け、Cの洞窟へ。

特徴としては最奥部に本尊を置いていた半円状の窪みがあること、そして小部屋が一つ設けられていることである。

 

本尊を安置していた祭壇跡。幅0.4m、高さ0.3m、奥行き0.2m。

蝋燭による煤の跡が今でも残っている。

 

振り返ってC全体の様子。
一番手前が間道、左側が小部屋である。ちなみに間道の隣(矢印部分)も何かあるように見えるが、こちらは窪んでいるだけで何もない。


最奥部から入口までの距離を測定すると、こちらは8.5mで、Bとほぼ同じ長さであった。

 

小部屋。幅3m、奥行き3m、高さ1.5m。

蝋燭用の窪み(2ヵ所)と縦長の窪みがある。
Cに「説教洞穴」と名がついていることから、ここが説教を聞く部屋だったのかもしれない。

 

小部屋の中にある縦長の窪み。高さは0.8m。
ここだけノミの向きが揃っているので何らかの意図があって掘られたはずである。
自然に考えるならば本尊(掛け軸)用か。

 

Cの入口。幅2.1m、高さ1.5m。

外から見ると先ほどの間道横の窪みがこの位置からは通路のように見える。錯覚による工夫がここにもあった。

 


Cから見た外の様子。
ここからはA・Bの入口は見えない。

A・Bの視点でいうと、Cは写真右側の木を迂回した場所にある。


普通はまさかそちら側にも入口があるとは思わないだろうから、地形を利用した見事な洞窟構造である。

Cの左手には竹林となっている。
危険を察知した念仏者が逃げ込むための緊急避難場所である。


実際に私も入ってみたが、想像以上に傾斜が急だった。
その当時、追う役人も大変だったろうが、暗闇の中、無秩序に生える竹の間を逃げる念仏者も決して楽ではなかっただろう。

洞窟周辺の様子

現在は宅地開発により周辺に住宅が立ち並び、「人里離れた念仏洞」という印象はない。

それでも念仏洞をぐるりと取り囲む竹林の中に足を一歩踏み入れると街の喧騒を離れた静けさがあり、この空間だけは当時の雰囲気が残っていると感じた。

調査を終えて

規模の大きな念仏洞というのは大勢の人数を収容できる反面、洞窟そのものが見つかりやすく、また一斉摘発の確率が高まるというリスクがある。しかし、ここ雀ヶ宮のかくれ念仏洞はそのようなリスクを予め想定に入れて建設された、ということが立地面や構造面からつぶさに見て取れた。

「目の錯覚を利用した擬装洞穴」「極端に狭い間道」「正面からは見えない位置にある説教洞穴の入口」「いざという時の逃げ道」などといった人の知恵に加え、「カムフラージュ」「音消し」「追っ手の妨害」を兼ねた竹林の特性を利用した法難対策は、当時の役人と念仏者との攻防がいかに激しいものであったのかを如実に物語っている。

なお、この念仏洞では毎年、顕信寺(鹿児島市吉野町)の住職が中心となって門徒の方々と一緒に、草刈り、竹切り、階段や手すりの付け直し、といった清掃活動が行われている。
信仰に生きた当時の人々の思いと、それを維持・管理して後世に伝えていこうとする現在の思いがここにはある。

雀ヶ宮の念仏洞は、今なお生き続けている念仏洞であった。