永久井野のかくれ念仏洞(ながくいののかくれねんぶつどう)

DATE
住所宮崎県小林市北西方5271
駐車場あり(10台)
アクセス
面白さ
訪問日令和7年5月1日

アクセス

永久津地区体育館前から県道404号線を北へ300m。

永久井野大橋を過ぎてすぐそばの説明看板が目印。

※車の場合は説明看板から更に100m進んだ先の右手脇道から入ると、橋下の駐車場に行ける。

洞窟までの道のり

舗装された道路をまっすぐ進む。

左側に流れるのは真方川(まがたがわ)。大きくはないが、流量は多い。

ほどなくして杉林の中に入る。

道中は「永久井野 隠れ念仏保存会」の方々によって整備されており、極めて歩きやすい。

川の音を聞きながら森林浴を楽しめる。

橋を渡り対岸へ。

橋の上からの景色。

川幅は約10m。 小声程度ならかき消せるほどの水の音が林中に広がる。

橋を渡ると入口に到着。

駐車場からの時間は3分53秒。

記念碑と説明看板あり。

訪問者にとても親切。

懐中電灯を持たずとも見学ができるよう、入口手前には洞窟内部の電源スイッチが用意されている。なお、上部にあるブレーカー(写真外)を上げないとスイッチはつかない仕組みなので要注意。

※帰りの際は必ずブレーカーを切ることをお忘れなく。

岩の隙間の入口は幅0.6m、高さ1m。

かなり狭いうえに、形も三角形なので若干入りにくい。

服が洞窟壁面に接触することもあるので、汚れてもいい服がベター。

構造と内部の様子

・自然の岩窟を利用した立体構造の洞窟。

・奥へ進むほど深く、そして広がっていく構造で収容人数は40~50人ほど。

・地面と天井との高さも奥へ進むほど高くなっており、1.1m(入口付近)→1.7m(中間地点)→3.2(最奥部)と移行する。

       ▲洞窟内を上から見た図

  (番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)


洞窟内部から見た外の景色。

自然の岩を利用した洞窟のため、入口自体は地上と水平。 しかし後述するが、実は入口が最も高い位置にある。

内部の全景。

階段から分かるように、洞窟自体が下へ下へと掘り進められている。

壁および天井は岩。すなわち、この巨大な空間は地面をひたすら掘って作られたものである。

その労力は計り知れない。

階段の中ほどから、再度入口側を撮影。

内部の光を極力軽減すべく、実はわずかに入口が湾曲している。

高低差に加えたもう一つの工夫だ。

この洞窟において最も深く、最も広い最奥部。

ここまで来ると川の音も聞こえなくなり、まったくの無音となる。

川の音が聞こえないということは、逆に言えば洞窟内の音も外にはほとんど漏れないというである(仮に多少漏れ出ても、川の水でかき消される)。

一部の岩には人の手が加えられた跡が残る。

こちらは綺麗に削り取られた側面の壁。

天井も同様に、所どころ削った跡が見られる。

 

最奥部にある祭壇跡。

一番深いところに祭壇がある(そこで法が説かれていた)ことで、洞窟に集ったすべての者が等しく見ることができる、まるで映画館のような構造的になっている。

これは立体構造ならではの利点であろう。

 

洞窟の天井からは岩から染み出た水によって絶えず雫がこぼれ落ちている。

それゆえ、地面は常に湿った状態。

とはいえ岩窟の中ということで室温は安定しており、湿度が高いということはない。

 

洞窟周辺の様子

現在は洞窟までの遊歩道もあり、アクセスしやすい場所となっているが、航空写真から見ると実際は山中の谷場にある。禁制当時は決して容易に行けない(=役人に見つかりにくい)場所だったことが伺える。

周囲に集落は多く、洞窟を利用する者は多かったと考えられる。それは洞窟の収容力の大きさが物語っている。

調査を終えて

今回の調査では私のほかにもう一人、同伴者を連れていたので、洞窟内の声がどれほど外に漏れるのか実験をしてみた。

実験内容はこうだ。

 ・私は洞窟の最奥部から全力で声明(先請伽陀)を称える。

 ・同伴者は外の入口からスタートして、「声が全く聞こえなくなる場所」にまで離れていってもらう。

というもの。

声量にはそこそこ自信がある私。一体どこまで聞こえるのか大変興味があった。

同伴者によれば実験結果は次の通り。「入口付近では微かに聞こえるが、入口から5mほど離れた地点(電源スイッチがあるあたり)まで来ると川の音が勝り、声が全く聞こえなかった」。

大音量ですらわずか5mでかき消されるのならば、通常の会話程度の音量など全く問題にならない。無論、洞窟で法談があった際は万全を期してなるべく静かに行われたのだろうが、「声が漏れる」という可能性はほぼ皆無と言っていい。

それほどまでにこの洞窟は遮音性が高いのである。

さて、川のそばに作られた念仏洞はここのほかにも何カ所かあるが、その規模はどれも小さいものばかりである(都城市山田町にある平山の念仏洞は埋没して詳細が分からないため何とも言えないが)。一転、ここは50人規模という非常に大きな収容面積を持つ。

『小林市史 第三巻 戦後編』(小林市編さん委員会著 2000年)によると、当時薩摩藩だった宮崎県南部の地域には焼香講、椎茸講、仏飯講、御鏡講、煙草講、ろうそく講など数多くの講が存在し、中でも仏飯講は講員数が数千人に達していたという。永久井野の洞窟界隈には椎茸講(正しくは九州椎茸講)があったというが、永久井野のほかにも小林市には孝の子、深草、風呂本、仲間、谷ノ木などの地域に洞窟が作られていたらしく、元来ここら一帯は一向宗の信仰が根強かった地域であったと記されている。これを読むに、多くの門徒の存在が永久井野の巨大洞窟へと繋がっていったのだろう。

永久井野の念仏洞の最大の特徴は「高さを生かした立体構造」であるが、「それを岩窟の中で作っている」という点を忘れてはならない。立体構造の洞窟は永久井野ともう一つ中山田(南九州市川辺町)が現存しているが、向こうは土壌がシラス(=柔らかいので自由に掘れる)で、工事の難易度は比にならない。

岩窟という物理的制限がある中にも関わらず、あれだけの深さと広さを人の手で掘ったという事実。

それはまさに精神的共同体としての団結力の現れである。