
アクセス
菊永集落の中央部にある辻堂神社から北東方向に80m。
坂を下るとすぐに洞窟。
洞窟までの道のり

道路沿いに洞窟の入口。
沿道にいきなり現れる巨岩、さらにその巨岩が作り出す大空間は明らかに異彩な雰囲気。
まさに「不思議な岩穴」と呼ぶにふさわしい佇まい。
洞窟の入口は幅5.8m、高さ2.2mと大きい。
ちなみに洞窟上部は竹が群生している。

入口前方に柵が設けられているが、ここは無施錠。
行き帰りに閉めておけば問題ないようだ。
躊躇なく中へとお邪魔させていただく。
構造と内部の様子

・自然石を利用した岩窟。
・洞窟内の高さは一番高い所で2.2m。内部は大人50人が余裕で座れるほど広い。
・岩壁の一部に人の手による加工の跡あり。

①
洞窟内部から見た外の様子。
地面は外との境界がなく、入口も広いため、内部からも(外部からも)向こう側がしっかりと見える構造。当然ながら外からの光量も多く、洞窟の中は非常に明るい。
ただ、ここがかくれ念仏洞であることを考えると、あまりにも‟目立ちすぎる”入口ともいえる。

②
内部全景。
岩のほとんどが上下2段に分かれた不思議な形。とりわけ洞窟中央部にある2本の柱は下の石が極端に小さくまるで礎石のようである。
入口の正面には小川(正確には側溝)が流れていることから、この洞窟は大昔に水の浸食によってできたの場所なのかもしれない。

③
まずは向かって左前方から調査開始。

④
最も入口に近い部屋。幅1.3m、高さ2.1m、奥行き2.9m。
ただただ長細いだけで特筆する点はなし。

⑤
手前にあるポストの口のような溝。
人の手で掘られたものには違いないが、用途については見当が付かない。

⑥
続いて隣の部屋。幅1.4m、高さ2m、奥行き1.9m。
そばにある瓢箪形の白い石は仏像的なものかと期待したが、近づいてみると何の変哲もないただの石だった。

⑦
部屋の奥には腰掛けに丁度よい高さの段。
一人用コワーキングスペースといった感じ。

⑧
移動して右前方へ。
こちらは横に倒した円錐形の穴。奥へ行くほど先細りになっているので、人が入るにはいささか不便。
手前側は幅1.2m、高さ1.9m。奥行き2.9m。

⑨
この洞窟で一番広さのある部屋。
幅2.6m、高さ1.5m、奥行き2.7m。

⑩
奥の壁には祭壇らしき跡。
幅0.76m、高さ0.5m、奥行き0.2m。
ここに本尊を置いたとするならば、この部屋は説教部屋ということになろうか。

⑪
右後方の部屋。
幅1.1m、高さ1.1m、奥行き2.5m。
ここは入口から死角の位置にある。

⑫
反対側の左後方の部屋。
幅10.9m、高さ1.5m、奥行き2.7m。
こちらも同様、入口からは完全に見えない。

⑬
台のように加工されている壁。
地面からの高さは0.6mで腰掛けるのにほどよい高さ。
ただ天井は低いので、実際に腰掛けると圧迫感がある。

⑭
洞窟後方部の両部屋はほぼ一直線。
光は両者をつなぐ通路までは届いているものの、部屋には届いていない。それゆえ、この洞窟全体をかくれ念仏の立場で見るならばこの2つの部屋が信仰場所としては一番適しているといえる。

⑮
一部だけ不自然に窪んだ壁。
幅0.7m、高さ1.4m、奥行き0.6m。
いかにも本尊が安置できそうな形をしているが、さすがにここは正面すぎるか。

⑯
ここ数日、晴れの日が続いていたにも関わらず、天井からは至る所で雫が滴り落ちていた。
これもまた不思議の一つ。

⑰
雫によって地面には小さな水たまりがいくつもあり、洞窟内の地面は全体的にしっとりしている。
しかしながら湿度はそれほど高くない。きっと内部の風通しが良いのが理由だろう。
周辺の様子
洞窟周辺は小さな谷になっており、前述したように正面には小川(側溝)がある。なお、洞窟前は道路が通っており、航空写真上では林の中だが薄暗さは微塵もない。
集落との距離はきわめて近い。地形は平坦なので、当時、洞窟へ行くことは容易だったと考えられる。
調査を終えて
この「不思議な岩穴」について『知覧町郷土誌』(知覧町郷土誌編さん委員会 2002年)から引用する。
雑木林が切り払われ、小道が整備される以前は、うっそうと茂った谷間で昼でも薄暗い岩穴であったという。近年の調査結果によると、灯明をともしたらしい壇や明らかに加工した段が残されていること、すぐ近くにはミヤン(御庵、中世の寺跡)という字名も残され、菊永集落が信仰と深い関わりを持った集落だったことがら、かくれ念仏の岩穴ではないかと言われている。
一応『知覧町郷土誌』内では、ここも知覧町内にある一向宗の聖地の一つとして名を連ねてはいるものの、文面を見ても分かるように本当にここがかくれ念仏洞かどうかは実のところ不明らしい。「加工された壇(段)」「ミヤンという字名」「信仰に関わりがあった集落」というのはあくまでも“状況証拠”であって、肝心の“伝承”がここにはない。
なお洞窟前に立てられている説明看板には、上の「かくれ念仏洞説」と共に「原始人の住居説」も併記されている。
この岩穴には、原始人の住居跡ではなかったかという伝説が語り継がれています。この伝説が現実味を帯びた時代には発掘調査も行われたこともありました。しかし残念ながら結論には達しませんでした。
こちらの「原始人の住居説」には伝説(伝承)があるという。だが調査した結果、最終的に結論が出なかったということは決定的証拠が見つからなかったということなのだろう。
証拠はあるが伝承がない「かくれ念仏洞説」。
伝承はあるが証拠がない「原始人の住居説」。
これについては白黒はっきりさせなくてもいいと思う。そのほうがどちらの可能性も生きるからだ。
不明なことを明らかにしていく姿勢は大事である。しかし曖昧のままにしておく余白も歴史には必要ではないだろうか。
洞窟前の説明看板には最後にこう締めくくられている。
大いなる歴史のロマンを秘めた不思議な岩穴です。
まさにこの一言に尽きよう。
