門之浦のかくれ念仏洞跡(もんのうらのかくれねんぶつどうあと)

DATE
住所鹿児島県南九州市知覧町南別府23180
駐車場なし
アクセス
面白さ
訪問日令和7年12月5日

アクセス

門ノ浦交差点から北へ140m。

JR指宿枕崎線の踏切を渡ってすぐの右の脇道に入る。

洞窟までの道のり

脇道を進むこと220mあまり。

右側を注視していると、ちょうど林が切れて前方が開ける草むらが現れるので、そこから中に入っていく。

草むらの様子。

ここはそのまま直進。


草むらをまっすぐ進むと、土手が出現。

ここも素直に土手を上がる。

森の中のトンネル。

この上を線路が走る。

トンネルの向こう側へは行かずに、ここで進路を左(=東向き)に変える。

※ちなみにトンネルの先は、ただ森が延々と続くだけなので行かなくてよい。

ここから道は悪路へと変わる。

倒木、ツタ、棘のある木…、おまけに地面は至る所に起伏があるため(しかもそれが草で覆われて分かりにくくなっている)、前方と足元、両方に注意が必要。

また、森の中で絶対に見失ってはならないのが方向感覚だ。何も考えずに歩くと非常に危ないので、常に右側に線路(ただし視認はできない)があること意識して進むことが重要である。

草木と格闘しながらしばらく歩くと、左手の土手下に目当ての石碑を発見。

ここ十数年来、こんな辺鄙な場所にわざわざ足を運んだのは私以外に果たしていたのだろうか。

草むらの位置から8分28秒で到着。

そこにあるのは「かくれ念仏洞窟の跡 昭和62年3月1日 門之浦老人クラブ建之」と彫られた石碑のみでほかには何もない。

構造と内部の様子

       


石碑前方の様子。

平坦でちょっとした広場のようになっている。

※但し、後述するが念仏洞の場所はここではない。

さらにその先にあるのは川幅50mはある加治佐川。

船も通れるほどの大きな川である。

周辺の様子

ここは川岸に造られた念仏洞である。

周囲は完全に森に囲まれており、手掛かりもなしに見つけ出すことはまずもって不可能である。さらに言えば、この地理的条件なら多少の声や明かりも全く問題にならないのでまさに絶好の場所といえる。

移動手段としては陸路(徒歩)と水路(船)の2通りが考えられるが、後者の場合、一度に大勢の移動ができないこと、役人に見つかった際に逃走が困難なこと、を考えると陸路で移動していた可能性が高いと思われる。

調査を終えて

門之浦のかくれ念仏洞跡に関して『知覧町郷土誌』(知覧町郷土誌編さん委員会 2002年)には、こう記述されている。

頴娃町大川と門之浦の境にある鉄橋から、南西の方向約三十㍍の南側の崖に洞穴がある。いまは土に埋まり雑木雑草におおわれているが、この洞穴は、嘉永・安政(一八四八~一八五九)のころ門之浦の一向宗信徒がひそかに集まり、称名念仏の喜びをわかちあった聖地であると伝えられている(仲利雄談)。

ここの字名は、供養ヶ尾比良という。

つまり、本当の念仏洞の場所というのは文中にある「鉄橋から、南西の方向約三十㍍の南側の崖」であって、石碑が建っていた場所ではないのである(石碑は鉄橋から見て北西の位置にある)。

石碑の調査後、実際にその場所も訪れてみた(この場所へは加治佐川を跨ぐ境橋の北西部から川沿いに土手を進むことで行くことが可能)。

とうの昔に埋没しているため、正確な場所は分からないが、おおよそこの辺りではなかろうか。

▲この辺りが南西の方向約三十㍍付近
▲これかな?

ところで、盗人穴(南九州市知覧町)、相星(南さつま市加世田)、永久井野(小林市)、これらの洞窟も門之浦と同じく「川の側にある念仏洞」である。しかし決定的に違うことが1つある。それはこれらの洞窟は水の音で念仏の声を紛らわすことを目的として川の側が選定されたのに対し、ここは見つかりにくさを目的として選んだ場所が結果的に川の側だったという点だ。加治佐川は川幅も広く流れの穏やかな川であり、水音はないに等しい。この点は一応留意しておかねばならない。

『知覧町郷土誌』によれば門之浦集落の西側にある松ヶ浦集落にも念仏洞があるという。ただしこれは現時点(2025年12月5日)において発見には至っていない。ただ、ここで大事なのは集落ごとにかくれ念仏が存在していたという事実だ。いかに浄土真宗が薩摩の隅々にまで浸透していたかが伺える。

石碑も、念仏洞跡も、どちらも行きにくい場所にある門之浦のかくれ念仏洞跡だが、視点を変えてみるとこれこそまさに「かくれ念仏」であるともいえよう。正直、わざわざ現地に直接行くほどの価値は薄い。ただ、個人的には石碑を確認できたことは有意義だった。石碑が建立されてから40年以上の歳月を経て、私が石碑と相まみえたこと。まるでそれはタイムカプセルを開いた時のような興奮を覚えた。

アナログからデジタルへ。先人が後世に残した‟記録”の一端を私は担いたい。