野間大久保のかくれ念仏洞(のまおおくぼのかくれねんぶつどう)

DATE
住所鹿児島県南九州市川辺町野間4253-2
駐車場なし
アクセス
面白さ
虫の多さ
訪問日令和5年11月28日

アクセス

県道19号線から広瀬橋交差点を北上。神殿川沿いに進み、「やまさきばし」を渡る。左折して100m進むと小道が見えてくるので、そこを右折する。

洞窟までの道のり

小道を進むと突き当りに一軒の民家が見えてくる。

その手前を右に逸れて民家横の茂みへと進む。

遠くからは草で見えないが、近づいていくと2つ穴の念仏洞が現れる。

洞窟上部は雑木林。高さ7mほどの小高い丘の下にある洞窟である。


隣合う2つの入口は左側のほうが大きい。

それぞれの入口前には杭と有刺鉄線の柵が設けられていたようであるが、経年劣化によって、すでに朽ちている状態だった。

左側(以下Aとする)の入口。

幅2m、高さ3mと念仏洞の入口にしてはかなり大きめ。

右側(以下Bとする)の入口。

幅80㎝、高さ1.1mとこちらは一般的な大きさ。

奥へと続く通路は右へ湾曲している。

構造と内部の様子

          ▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)

一方Bは円形で高さが均等な1.1m。広さとしては大人15人ほどは入れるのだろうが、天井が低い。


Aの内部。

わずかながら、内部より入口の位置が高い。

現在は無造作にゴミが投げ込まれ、ほこりをかぶっているような状態だった。

Aの最奥部。

地面の下に空間があるわけでもなく、ここで行き止まりのようだ。

壁には手彫りの跡が綺麗に残っている。

壁下に小さな隙間を見つける。しかし、人が通れるような大きさではない。

中を確かめたかったが、ゴミが邪魔で見られなかった。

移動してBの内部へ。

極端に天井が低いのが最大の特徴。もう一つの特徴は壁が途中(地面から0.6mの位置)から煤で黒くなっていることである。

推測だが、煤は後世になってここで炭焼きをしていた跡ではないだろうか。

入口付近には2ヵ所、壁にコンクリートの蓋があった。

写真左側の蓋は外との位置関係から考えて通路ではなさそうなので、おそらくは窪み(もしくは小部屋)があったのだろう。 

対して、右側の蓋は先ほどのAの洞窟側に向いていた。

右側の蓋の上部は5cmほどの隙間があった。

煤の跡はずっと先まで続いている。

隙間から覗いた様子。先ほどのAで見た下穴と通路で繋がっていた。

ただし、人が通るには穴が狭すぎるので、これは空気穴用の通路だろう。

 


入口からみて対角線の位置には窪みがある。幅0.3m、高0.6m。

大きさから考えると、本尊(掛け軸)を安置していた場所だろうか。

手前に土が塗り固められていることから、使用時以外は土で隠していたのかもしれない。

地面には焼けた紙や木片の残りが散在。

そしてなぜか動物の骨も落ちていた。 偶然、洞窟の中で息絶えた野生動物の跡か、それとも家畜かペットの火葬の跡か。

洞窟周辺の様子

念仏洞は山を背にして民家横にひっそりとある。

ただ、周辺は住宅が比較的多いので、よその念仏洞に比べると人の気配は多い。

正面には神殿川。現在は護岸工事によって当時の面影はないが、「川の近くに作られている念仏洞」というのは留めておくべき要素だろう。

調査を終えて

ここは光明寺(南九州市川辺町)の住職より教えて頂いた場所である。

住職自身も若いころは県内外のかくれ念仏の調査をしており、この野間大久保の念仏洞の他にも岩屋公園の念仏洞田部田の念仏洞など本には載っていない町内の念仏洞の場所も併せて教えて頂いた。

実際に穴に入ってみた感想であるが、ここはいわゆる「説教場」ではないと感じた。

入口は念仏洞のようであるが、天井が一定に低いのはどうも合点がいかない。

花尾の念仏洞のように仏具を一時的に隠すための穴と見るほうが自然であり、そう考えると集落の中にあるのも頷けるからである。

人の手による掘削系の洞窟で天井が低いのは私が知る限り、ここが唯一である。

防空壕という可能性も若干残るが、ここが正真正銘のかくれ念仏洞であるとするならば、他に類を見ない珍しい場所といえるだろう。