相星のかくれ念仏洞(あいぼしのかくれねんぶつどう)

DATE
住所鹿児島県南さつま市加世田小湊2876
駐車場なし
アクセス
面白さ
虫の多さ
訪問日令和6年1月5日

アクセス

国道270号線上、バス停「上加世田」付近の交差点を西に曲がる。

そのまま4kmほど道なりに進み、脇道に右折。

突き当りでさらに右折し、北西へ向かうと、案内看板が見えてくる。

洞窟までの道のり

一つ目の看板から150m進むと、二つ目の看板(左写真)。

この先は徒歩にて洞窟を目指す。

洞窟までの道中は平坦な一本道。

道が見えるので迷うことはないが、倒木もあるのでしっかりとした靴は必須。

三つ目の看板。

ここから谷へと降りていく。

下へと続く斜面はさほど急ではない。

一応、手すりは備え付けられてあるものの、劣化が激しく、握れば簡単に傾いてしまうほど強度は皆無。

「手すり」としての役割はもはや期待できないが、「目印」として見るならばまだ存在価値はある。

谷の下へと降りる。

日がほどよく差し込み、川のせせらぎが何とも心地よい静かな場所である。

そのそばに佇む巨岩が今回の目的地。

2つ目の看板から歩いて3分半、「相星のかくれ念仏洞」に到着。

天然の岩を利用した念仏洞で、岩の高さは10mほど。

「山の中」「谷底で川のすぐそば」「巨岩による念仏洞」、過去に訪問した南九州市の「盗人穴」と立地条件的にかなり近いと感じた。

入口は幅1.6m、高さ1.8m。

洞窟奥に石が数個見える。

構造と内部の様子

          ▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)


内部から外へ向かって撮影。

掘削系の念仏洞とは違い、内部と外部の高低差はない。

正面には川が流れている。

洞窟内部。岩の隙間にしては中は結構広い。

正面奥に直立する石。その手前に花瓶や蝋燭立てなどが置かれている。

写真右のブロック石は用途不明。

なお、水辺に近いため地面は湿っている。

立ち並ぶ石の集団。

中央の一番大きな石で幅0.3m、高さ0.4m。

形からして仏像が彫られていたのかもしれないが、風化で何も読み取れない。

洞窟内、右側天井部分。

両側の岩の隙間にまで石が詰まっている。

自然になったものなのか、それとも人の手によるものなのか興味が尽きない。

洞窟内、左側天井部分。

隙間なく岩に囲まれている。

試しに大声を発したところ、反響はほぼなし。

正面の川の音も相まって、内部の声はほとんど外に聞こえていなかったと思われる。


洞窟の前を東西に流れる相星川。

川幅は3mほどで流れは穏やか。

川の周囲には一部、石垣の跡もある。

 

洞窟周辺の様子

洞窟は長屋山の裾野、相星川流域の谷場にある。

最寄りの集落で見てみると、北側の集落とは1.5km、東側の集落とは1kmの距離である。

距離としては東側が近いが、北側のほうは相星川を辿っていけるので「行きやすさ」という点では北側に軍配が上がるだろう。

調査を終えて

帰りに南さつま市中央図書館へ立ち寄り調べたところ、『加世田市史 下巻』に次のような記載があった。

「相星川を一五〇〇メートルぐらいさかのぼった所に巨岩でできた洞窟がある。ここには天正年間(1580年ごろ)に内田二世が建てたといわれる二世観音が祭られ、加藤家が代々格護(花水を供える)していた。一向宗の信仰禁止が厳しくなると、相星の人たちはこの二世観音の所に阿弥陀仏を隠してこっそり拝んでいたという。この御絵像は、解禁後相星に移され、今では相星西と東の集落が一年交代で祭っている」

話を整理すると

(1) 最初は内田二世という人物が自身の今生(現世)と当来(来世)の幸せを祈るため、洞窟に観音菩薩を安置した。

(2) 加藤家がそれを引き継ぎ、観音信仰と共に洞窟の管理をした。

(3) 念仏弾圧から逃れるため、真宗門徒がこの場所をかくれ念仏の地にちょうどいいと考え、信仰場所とした。

ということになる。

つまり、ここは初めからかくれ念仏の場所だったのではなく、のちにかくれ念仏の場所となったのである。洞窟内で見た直立する石はかつて観音菩薩が彫られていたのだろう。

一つの洞窟内で観音信仰と阿弥陀信仰の異なる二つの信仰が行われていたというのは、現在の感覚からすれば奇異な感じもするが、当時の念仏者からしてみれば理にかなっていたのかもしれない。もし仮に洞窟内での活動を役人に押さえられても「観音菩薩を拝んでいた」で理屈が通るからである。

ただし実際のところは分からない。真宗の篤信者は役人に捕まり拷問を受けることよりも弥陀一仏(阿弥陀仏以外は拝まない)の信心を捨てることを何よりの恥としていたからである。史実は念仏洞のみが知っている。

ちなみに上の引用文の「御絵像」に関して、別の『加世田市史』によると「当時の御絵像は古くなってはいるが、昔のまま飾られている」とあった。この文献自体がもうすでに古く、今現在の状況は何とも言えないが、まだ現存しているなら一度この目で見たいものである。

相星の念仏洞は観音菩薩と阿弥陀仏が共存する特殊な念仏洞であった。