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住所 | 宮崎県都城市山之口町山之口4147 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和6年4月24日 |
アクセス
田原自治会公民館から北へ300m。
田んぼとの境界線にあたる場所に標柱が立っている。
洞窟までの道のり
道路脇の標柱の場所がそのまま目的地。標柱上部の矢印は隣の土手を指しているので、この土手が念仏洞跡なのだろう。
現在は何の変哲ものない「ただの土手」である。
構造と内部の様子
・詳細不明
ただの土手であるため、特筆することはない。
とりあえず上へと登ってみた。高さは2.5m。
最初から期待もなかったが、案の定、見どころはなし。
あくまでもここは「念仏洞跡」なので当然といえば当然である。 というわけで、今回はここで調査終了。
洞窟周辺の様子
念仏洞は集落の端に位置し、民家との距離は極めて近い。
集落の周囲は360度が田畑で広く開けている。逆に言えば遮蔽物が少ないということで、これは念仏洞の立地としてはあまり良いとはいえない。
小規模ながら念仏洞の向かい側には竹林がある。それが理由でこの場所に洞窟が作られたのかもしれない。
調査を終えて
「田原のかくれ念仏洞」について図書館で資料を探したが、有力な手掛かりは見つけられなかった。入口の位置、内部の構造、念仏洞にまつわる史話等々、一切が不明である。
唯一の事実は「その昔、ここに念仏洞があった」という伝承のみである。
しかし考えてみれば、その伝承が残っているだけまだマシなのかもしれない。伝承が途絶えてしまって、今や名前も場所も分からなくなってしまった念仏洞もきっとあるのだから。
この山之口町にかつて存在していた念仏洞は田原のほかに、木上原、上森、吹上という地域にあったらしい。しかしこの3つに関しては名前が残るのみで具体的な場所は定かではない。だからこそ原形はなくとも名前と場所が確定している田原の念仏洞跡はそれだけで十分に価値があるのである。
標柱がなければ100人が100人あの場所を「ただの土手」と見るだろう。だがそこに標柱があることで「意味の土手」として、少なくとも私の心を動かしたのである。
一切が謎に包まれた「田原の念仏洞跡」であるが、その存在意義は他の念仏洞と何一つ変わらないと私は思う。