DATE | |
住所 | 宮崎県北諸県郡三股町蓼池3472 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和6年4月24日 |
アクセス
安楽寺(都城市山之口町)から国道269号線を南西方向に1.4km。
道路左手に標柱と石碑が建っている。
洞窟までの道のり
道路沿いの歩道から敷地内に入ることができる。
2020年にここを訪れた時は立ち入り禁止となっていた(右写真)ので、通路を整備していただいて本当に有難い。
10m×5mほどの敷地の中に標柱と石碑と説明看板。
全体を見回すと、前回訪れた時と比べて雑草が結構増えた印象。
「讃誓碑」と彫られた石碑には、念仏禁制時にこの地で法灯を守るために奔走した祖先たちの名前とともに、明治9年の念仏解禁後に真宗から他宗に流れた人の姿を嘆き、先人たちの御苦労を子々孫々忘れないようにするためこの碑を建てた、という由緒が書かれていた。
道路から6秒で念仏洞に到着。
草が蔓延りすぎて、もはや入口が見つけられない状況。
ちなみに、こちらは2020年時に撮った入口の様子(この時は道路側から入れなかったので、正面にある民家の方にお願いして民家の敷地側から撮影させてもらった)。
木が植えられている場所が入口。道路側に向かって洞窟が掘られていたことが分かる。
構造と内部の様子
・詳細不明
洞窟周辺の様子
「集落の中にある念仏洞」はいくつかあるが、どこも戸数が少ない集落、いわゆる“静かな場所”に造られている。
ところがここは住宅も極めて多く、かつ密集しており、何より車の往来が激しい場所にある。
東西に延びる国道が建設されたことで、現在のような“にぎやかな場所”になってしまったのだろう。
調査を終えて
一度目の訪問の際、写真を撮らせてもらった住民の方に伺うと、「かつては洞窟を見学しに団体が観光に来ることもあったが、2~3年前に天井が崩落し入口が埋まってしまったことで、ここを訪ねてくる人はめっきり少なくなった」という話だった。天井崩落は台風(大雨)によるものか、隣を走る車の振動によるものなのか、その辺のことは分からないが、あと5年早く私が活動を始めていれば…、と自分に対して悔しく思った。
二度目の訪問の後、都城市立図書館へ行くと、『カヤカベ かくれ念仏』(宮崎圓遵著 法蔵館)の中に念仏洞の構造図が掲載されていたのでここに抜粋する。
形は逆三角形で、広さは畳6畳ほど。天井が90cmと低いため、移動は中腰だったのだろう。入口を小さく作り、さらに少し通路を曲げ、地上より低い位置に洞窟を掘る、という3条件は明かり漏れ対策である。
なお、現在はもうなくなってしまっているが、昔は大木が生えていて、その根元が洞窟の入口だったという。2020年時にはあった小木は、大木の子孫だったのか、それとも存在跡を示すだけのイミテーションだったのか。
ちなみに国道269号線は明治34年に開通だという。当時はまだ歴史の生き証人もいただろうから、念仏洞を壊すという話はまず出なかったと思う。果たしてこれが150年経った現在だったらどうだろうか。かくれ念仏自体の認知度も低く、加えてやたらと「危険物は排除せよ」の風潮が強い現在においては議論の余地なく壊されるのではなかろうか。そういう意味では、国道計画時に念仏洞が残されたことは時代的な要因も大きく関わっていたといえよう。
現在の「蓼池のかくれ念仏洞跡」は正直に言って面白いものではない。しかし過去を調べていくことで、この地にまつわる物語が断片的ではあるがポツリポツリと出てくるのである。それを知れば知るほど、石碑の「讃誓碑」の3文字が際立ってくる。
改めて、道路側を修繕してもらえたことを喜ばしく思う。