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住所 | 鹿児島県曽於市大隅町月野6521 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫 | |
訪問日 | 令和2年10月29日 |

アクセス
国道269号線、大鳥トンネル北口手前の脇道から入り、北東方面へ1.8km。
左手の道路沿いに標柱。
道路沿いからすでに洞窟が見えるので一目で分かる。
※ 現在(令和7年4月29日時点)はロープが張られ、立ち入り禁止となっているため敷地内に入らないでください。
洞窟までの道のり

標柱の場所からわずか15秒で到着。
切り立ったシラスの崖下に作られた2つの洞窟である。
あまり奥行きのない左側と、入口部分が土砂で埋まりかけている右側。
入口の位置が高めな右側が本体だろうか。
構造と内部の様子

▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
・シラスを掘って作った水平方向の洞窟。
・左側はほとんど埋没。右側は単純な一直線構造。

先にA(左側)から。
入口は幅1.5m、高さ1.2mで、奥行きは1.6m。
この下に通路があって、それをシラスで埋めたのか、それとも掘る途中で中断してしまったのか、はたまた仏具を隠すための「元々小さい穴」だったのか、この状況でははっきりしない。

①
右の壁に小さな穴を発見する。
これが本当に灯明跡なのか、そもそも当時からあったものなのか、これまた判断ができない。
もし仮に当時の灯明跡だったとするならば、外から丸見えな入口付近にあるのも不思議な話である。

続いてB(右側)の穴へ。
入口前方がシラスによって半ば埋まりかけているが、質感を見る限り、これはおそらく禁制時当時からのものではなく、長年の風化により後世になって洞窟上部が崩れただけだろう。

入口は幅1.2m、高さ0.7m。
悲しいことだが大量のゴミが投げ込まれていた。

②
入口からの奥行きは4.6m。
奥までぎっしり詰め込まれたゴミは使用済みのビニールハウスのようだ。
内部の壁、および最奥部に目立った特徴はなし。
先ほどの左側の穴が本体とはさすがに考えにくいので、こちらが本体と見るほうが妥当であろう。
洞窟周辺の様子
山間の小さな集落の一角にある洞窟である。
現在、洞窟の正面は更地(半分は畑)となっているが、まさか道路から入口が丸見えということはないだろうから、かつては入口を隠すようにしてここに家が建っていたものと思われる。
町の中心部から少し離れた山間ということで、役人からは発見されにくい場所であったことは確かである。
調査を終えて
調査後、曽於市立図書館へ寄ったところ、『大隅町誌(改訂版)』(大隅町誌編纂員会著 1990年)に「藤ヶ峯のかくれ念仏洞跡」に関する記述、および埋没前の写真があったので、ここに引用する。
藤ヶ峯から伊屋松にかけては、信仰の固い人たちがいた。(中略)、藤ヶ峯で仏様を拝む時は、見張人を部落の上の方と、川久保の入口に置いた。仏様を拝む所は、道路の側に藤本景則の住家があるが、その屋敷内の白砂の所にある。穴は入口はさほど大きくないが、四尺くらい奥に入って、左に約六尺くらい曲り、更に右折してそこが広間になっている。およそ六尺に十尺くらいの広さである。
かくれ仏教(※原文ママ)の穴としては完全で、よく出来ている。ただ現在は奥の室にすぐ通ずるように手前から穴が掘り広げてあるが、これはもちろん最近の仕業である。当時はここは旧道から這入った所にある。

正規の入口は文中に「さほど大きくない」とあることから、上の写真の入口は「奥の室にすぐ通ずるように手前から穴が掘り広げてある」「最近の仕業」のほうなのだろう。
さて、資料の記述を元に当時の洞窟の構造図を書いてみたものが図1である(赤斜線部が「最近の仕業」の入口である)。
※文中には各通路の「距離」は書いているものの、「幅」や「広間の形状」は書いていないため、あくまでもこれは想像図であることを予め断っておく。

現在残るAの部分が当時の最奥部なのか不明であるが、もしこれを最奥部と仮定するならば、約5mほど前方が消失(斜線部分)したことになる。
問題はBである。
果たしてBは当時から存在していたのだろうか?
正規の入口の延長線上にBを繋げてみると図2のような形になる。
しかしこれはありえない。なぜなら「現実のAB間はもっと離れているから」だ。
実際のAB間は3m以上離れている。だからBが図のように入口と繋がることはないのである。
それならBをどのように考えたらよいか。
私考として可能性を2点挙げる。
①Aが現存していた頃はまだBはなく、Aが埋没したあとで右側にBが掘られた。
②Aが現存していた頃にすでにBもあったが、念仏洞の通路とは別の“独立した洞窟”として存在していた。

ただ、現状では事実を確かめる術がないため、この点に関しては「不可解な洞窟」というところで留めておく。
最後に。
念仏洞跡ということで、現在の姿は何の面白みもないのというのが私の率直な感想である。
けれどもそこを想像力で補い、考察してみると新しい視点と疑問が生まれ、学問的な面白さも感じた。
手掛かりが少ないがゆえに、ロマンのある念仏洞である。