高千穂念仏洞跡(たかちほねんぶつどうあと)

DATE
住所鹿児島県霧島市霧島田口2265-17
駐車場なし
アクセス
面白さ
訪問日令和8年3月13日

アクセス

県道60号線から霧島市立霧島小学校東側の道へ折れ、坂を400m上がる。

道路右側に最初に現れる家の場所で中に入る。

洞窟までの道のり

見たところ、家は空き家らしい。

家の前を横切り、奥の畑へ進む。

畦道をS字に歩き、ちょうどこの写真の位置から真正面に見える竹林を目指す。

一番容易に下へ降りられそうな場所がこの辺り。

ここから谷下へ。

畑から一段降りたところに小道があった。

小道を歩きながら、もう一段下へ降りられそうな場所を探していると…


穴を発見。

事前に聞いていた「高千穂念仏洞」とは大きさも形も違うため、この穴は全くの別物だが、こちらも手彫りの洞窟である。

内部の様子。

部屋はなく通路のみの単純な構造。

役人の目を欺く疑似洞窟か、それとも後世に作られた防空壕の跡か。

谷下へ降りる。

前方は竹林地帯。

進路を北に、竹林の中へと入っていく。

だが想像以上に倒竹の量が多く、非常に歩きにくい。うっかり足を滑らせて怪我をする危険性もあることから、直進することは諦め、対岸の土手側から行くことに。

手前の境界標が目印。

ここを起点にまっすぐ反対側の土手に向かう。

写真では分からないが(実際に来てみるとすぐに分かる)、ここが念仏洞へ続く通路の入口。

土手が左右に分かれた立派な入口である。

こちらが反対側(入口内部)から見た景色。

左右の幅は1.3m。

入口が分からないよう、当時からここは鬱蒼とした竹林だったのだろう。

ここからは緩やかな上り坂。

大小様々な土塊がまるで雪崩のごとく上まで続いているため、足下は悪い。

できるだけ現場を荒らさないよう慎重に上っていく。

洞窟に到着。最初の道路から5分5秒。

天井も床も崩れたその姿は「半壊状態」。

かろうじて最奥部が残されているのみだった。

※崩れたことにより、どこからが元の洞窟の入口だったか特定できないため、この記事ではとりあえず洞窟が狭まっている部分を「仮の入口」と定義する。

構造と内部の様子

          ▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)


洞窟内部から通路入口へ向けて撮影。

崩落により逆に視界が開け、圧巻の景色が広がる。

ここから通路入口まで距離16m。

この距離と高さに当時の洞窟入口がどのような形状だったのか興味が尽きない。

洞窟最奥部。

奥行きのある右の穴と、横に広い左の穴の2つだけが残っている。なお、右の穴手前に見えるわずかな地面が崩落の影響を免れた「元の地面」である。

右穴の様子。

幅0.6m、高さ0.8m、奥行き1.5m。

人が入るには小さすぎるので、何かを入れていた「保管庫」的なものだろうか。

左穴の様子。

幅1.2m、高さ0.3m、奥行き0.5m。

こちらは灯明皿による明かり取り用の穴か。

崩れ落ちた洞窟天井部。

天高く伸びる頭上の木がとても神々しく見えた。

しかし、やがてはこの木も土の風化に伴い、根ごとそっくり下へと落ちてくるのだろう。

こちらはすでに崩落した土砂。

よく見ると白いシラスの上に赤土、そして黒土と順に重なっていることから、当時の洞窟の天井部分はシラスだったことが分かる。

 

土手の地層。

シラスより上の堆積部分は2mほど。

 

洞窟周辺の様子

念仏洞があるのは谷間の静かな竹林内。ただしその規模は極めて小さく、谷の周囲には畑と住宅が広く点在する。そこには交通網の拡充が背景にあるためで、それを考慮すれば当時は念仏洞の周り、少なくとも半径200m程度は森であった可能性が高い。

ちなみに念仏洞から向かって北東方向には高千穂峰(標高1573m)があり、2つを結ぶ線上には霧島神宮が建っている(念仏洞と霧島神宮との直線距離は1.2km)。

調査を終えて

洞窟の大半がすでに崩れており、原形をとどめていないため、内部の構造について語ることはほとんどない。

ゆえに今回は「洞窟入口へと続く通路」に焦点を絞って少し論じることにする。

高千穂念仏洞において一番の特徴は【土手を削って通路が作られている】という点にある。通路(および洞窟本体)が土手に挟まれていることで、その存在は相当至近距離にまで迫らない限り発見は難しい。まして周囲は密度の高い竹林地帯。竹による目隠し、土手による目隠し、さらには夜分という光の目隠しという「三重の目隠し効果」によって念仏洞の場所を隠していたものと思われる。

ちなみに【土手を削って通路が作られている】念仏洞というのは、ここのほかにも存在する。

それが隣町、都城市の「大古川のかくれ念仏洞跡」「平山のかくれ念仏洞跡」である。しかし通路の長さといい、洞窟本体までの高さといい、規模で比べれば高千穂念仏洞が最も大きい。

私がこの場所を知ったのは、浄土真宗本願寺派龍泉寺様のおかげである。龍泉寺の本堂には寺近辺にある5か所の念仏洞が説明文付きの写真で紹介されている(そのうち1か所だけは名称のみ)。高千穂念仏洞に関しては次のように説明されている。

桂内地区「戸崎原(とさきばる)」にある。霧島小学校前「戸崎原橋」の手前の道を旧霧島東中方面へ200m程上っていったところで車を止め田んぼを降りて竹林を1分ほど歩くと右手に洞窟が現れる。

洞窟は既に全て崩れ落ちている。目の前に用水路があり、地元の方によると明治初年に造られたものであるとのこと。

土質は、白砂ではなく昔発生した高千穂噴火による火砕流で出来た赤茶けたものであった。

入口からの長さは10m程。入口の高さは2m程、奥の一番高いところで5m程ではなかろうかと推測できる。幅は入口が1m程。奥の方は崩れている為、計測不能。西を向いてガマが掘られている。

一間(約1.8m)の蓮如上人絵伝4幅をかけていたと言われている。

三会講(さんえこう、吉松・霧島・溝辺(竹子)でなるお講。地元の方々は地蔵原(じぞうばる)門徒と呼称している。)を中心とする方々がお参りしていたと思われるガマでである。

長さについては私の計測と開きがあるが、これは計測方法ならびに計測時期の違いということでここでは無視したい。

それよりも注目すべきは「一間(約1.8m)の蓮如上人絵伝4幅」の部分であろう。法座では常時この絵伝が掛けられていたのか、それとも特別な時だけ掛けていたのか、なかなか興味深い点である。

霧島神宮の近くということで、ここが神道色の濃い地域であったことは想像に難くない。

【土手を削って通路が作られている】というのもそれが大きく影響しているのかもしれない。

高千穂念仏洞は信仰の強さが如実に表れている念仏洞である。