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住所 | 鹿児島県鹿屋市上名5526乙 |
駐車場 | あり(10台) |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和2年10月29日 |
アクセス
県道544線を南下し、「大隅広域公園」の標識があるところで左折。
道中にある案内看板(上写真)に従って集落を過ぎ、最後に畑の間を走る一本道を抜けると、「黒羽子のかくれ念仏洞」の駐車場が見えてくる。
洞窟までの道のり
駐車場の左側にある道から山の中へと入っていく。
山道ながら道は広め。
平坦で歩きやすく、迷子になる心配もない。
駐車場から150mほど歩いた地点に分かれ道。
この看板といい、道中の案内看板といい、美里吾平コミュニティ協議会の方々の配慮が有難い。
看板より先は傾斜が少し急な下り坂となる。
手すり等はないので、足を滑らせないよう注意が必要。
下に降りたところで道脇に小さな川を見つける。
流量は極めて少なく、一見すると流れているのか溜まっているだけなのかほとんど分からない。
駐車場から歩くこと10分。目的地に到着。
高さ10mもある岩山がそびえ立ち、見る者を圧倒する迫力がある。
その岩下に入口が大きく口を開いていた。
入口は幅3m。奥行き1m。
「高さ」ではなく「奥行き」なのは、この入口は水平ではなく下に潜って入るため。ここが一般的な念仏洞と大きく異なる点である。
構造と内部の様子
▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
・横穴式の洞窟で、天井や壁は頑丈な岩石。地面は水分を多く含んだ砂となっている。
・洞窟内の高さは1.3m。内部は大人30人は軽く入れそうなほど相当広い。
・入口から左回りに迂回する形で最奥部の部屋がある。直線距離にすれば入口から6m。
①
洞窟内部から外に向けて入口部を撮影したもの。
明るいところが外の地面の位置。洞窟内は外よりも0.5m低い。
②
岩に囲まれているので洞窟内自体はとても静か。
虫はいないが、コウモリは数多く飛び回っていた。
急なバサバサという羽音は心臓に悪い。
③
洞窟内にぽつんと置かれた丸太は解説によると「火皿を置くための台であったかもしれない丸太」とのこと。
100年以上経ってもなお朽ちることなく原形をとどめているとはすごい丸太である。
④
地面から水が染み出しているのか、それとも天井から滴っているのか、洞窟内はかなり湿気が多い。
そのため地面はぬかるみ状態。沈み込むことはないが、濡れた砂浜を歩いているような感覚。靴が泥まみれになってしまった。
⑤
入口から左にぐるっと回りこむと最奥部の部屋。
ここは直立できるほど天井も高い。ここだけで15人ほどが座れそうである。
昔はこの場所に掛け軸をかけて礼拝していたという。 現在は仏像と石碑が建てられていた。
⑥
念仏洞の中央部の岩の柱は、入口と最奥部を仕切る「壁」としての役目を果たしている。
特に興味深いのは、壁に3か所「のぞき窓」のようなものが、明らかに人の手によって作られている点である。
奥の部屋と入口の位置関係から推測するに、これはいち早く監視の役人の気配に気づくために作られたものなのではないだろうか。
洞窟周辺の様子
周囲は深い森に囲まれ、風で木々が揺れる音、たまに聞こえる鳥の鳴き声以外、無音である。
最寄りの集落はここから500mほど離れていることからしても、ここは普段人が立ち入るような場所ではなかったことが伺える。
逆に言えば、だからこそ秘かに集まる場所として絶好の地であったともいえよう。
調査を終えて
黒羽子の念仏洞は巨大な自然石を利用した洞窟である。ただし内部に関しては地上より低く掘られた地面や、警戒のための「のぞき窓」など、人の手が加えられている場所も見られた。
ここら一帯を改めて地図で確認すると本当に人里離れた念仏洞であったことが分かる。
集落を出て、畑を抜け、山を分け入ってようやく辿り着くこの場所に闇夜出かけていくのは相当困難だったに違いない。
それでも当時の人々が危険を顧みず目指した理由は、信仰の強さ、信心の深さによるものであろう。
当時の風景そのままというわけにはいかないが、追体験できた洞窟であった。