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住所 | 鹿児島県南九州市知覧町東別府4246 |
駐車場 | なし |
アクセス | |
面白さ | |
虫の多さ | |
訪問日 | 令和2年10月29日 |
アクセス
教行寺(南九州市東別府)の交差点から中福良小学校へ向けて北上していくと1.5km地点に案内看板。 右折してさらに3km進む。
すると上のような目印となる石の看板、および標柱が見えてくる。
洞窟までの道のり
正規の道は台風の被害を受け、現在通行不可とのこと。
迂回路を行くよう看板が立っていた。
一応、正規の道も確認のため撮影。
倒木も見られ、かなり荒れている状況。
迂回路は茶畑の中。
この畑は個人の所有物ということなので、なるべく端のほうを歩く。
畑の中頃に矢印看板。ここから斜面を下っていく。
歩きやすいように階段と手すりが設けられていた。
下りていくと小さな川が流れる谷に着く。大小さまざまな岩が点在。
その中に、ひときわ目を引く巨石があった。
歩き始めてから約6分、盗人穴に到着。
一般的な「人為的に穴を掘って作られた念仏洞」ではなく、ここは「自然の石を利用した念仏洞」である。
なので、正確には岩の隙間と表現したほうが正しい。
まず目に入るのが、この巨石の圧倒的存在感である。
縦横共に3mはあるだろうか。
この巨石が屋根の役割をし、中の空間を形作っている。
あくまでも岩の隙間なので、入口と言っていいものか言葉が難しいが、一応ここが入口(らしき場所)である。
幅1.6m、高さ1.2m。
構造と内部の様子
▲洞窟内を上から見た図(番号は撮影位置、矢印はカメラの向き)
・自然石が積み重なってできた隙間を利用した岩窟。
・洞窟内の高さは一番高い所で1.7m。内部の広さは大人7~8人が座れるくらい。
・Bの正面には川が流れているため、基本的にはAが入口(上記写真)となる。
①
内部から入口側を撮影。
外と水平であるため、遠くまでよく見渡せる。
②
入口付近には祭壇があり、仏像が安置されていた。
仏像はもちろん後世のものであるが、当時の祭壇の場所もこの位置だったのだろうか?
③
入口付近が最も天井が高く、奥へ行くほど低くなっていく形状。
④
最奥部は行き止まりとなっている。
ここでの天井の高さは0.9m。
⑤
Bの正面には川が流れているも、岩をつたえば外へ出ることができる。
とはいえ足場は悪く、この先は深い森へと続いているため、緊急脱出用の出口であったろうと推測する。
Bから出て、東(川の上流)方面を少し散策。
生い茂る樹木と点在する岩で足場は悪く、道らしきものは発見できなかった。
盗人穴の隣を流れる永里川。
全体としての流れは穏やかだが、一部、滝になっている場所があるらしく、ドドドドという音が響いていた。
この滝の音が当時の念仏者の声の音消しに一役買っていたのは間違いないだろう。
洞窟周辺の様子
現在は農免道路と共に畑が形成され、開けているが、かく れ念仏洞の立地から考えると、当時はあまり人が立ち入らない閉ざされた山奥であったと思われる。
なお、最寄りの集落との距離はおよそ800m離れている。
調査を終えて
「盗人穴」の名前は不用意に子ども達がこの場所へ近づかないよう、大人たちが「あそこは恐ろしい盗人が住んでいる危険な穴だから絶対に行くな」と常に注意していたことに由来しているそうだ。 確かに少し人里から離れていて、森遊び・川遊びができる洞窟は子どもからすれば絶好の隠れ家に見えるだろう。
大人たちが恐れたのは、念仏洞の場所が役人に特定されることももちろんであるが、それ以上にかくれ門徒として役人に捕まり、容赦のない拷問を受けた挙句、絶命してしまうことにあった。「もし自分が死んだら一体誰が、このかわいい我が子を育てるというのか」―。 そうした我が子の命を守らんとする親の愛情が「盗人穴」という名前となったのである。
ここ「盗人穴」は、枕崎市にある「枦原の念仏田」と重なる優しい念仏洞であった。